2025年3月25日火曜日

ルルド 第84回

  しかし、ピエールはマリーの言葉に深く心を打たれていた。まさにそれだった——か細い炎、わずかに光る点のような、つつましい民衆の明かり。しかし、それが無数に集まることで輝きが生まれ、まるで太陽のようにまばゆい光を放っている。次々と新たな炎が生まれ、より遠くへ、まるで迷子になったかのように広がっていく。

「見てごらん……」ピエールはつぶやいた。「あそこに、一つだけ現れた炎がある……あんなに遠くで、頼りなく揺れている……見えるかい、マリー? ほら、ふわふわと漂いながら、大きな火の湖へゆっくりと溶け込んでいく……」

 今や、周囲は昼間のように明るかった。木々は下から照らされ、鮮やかな緑色を帯びている。それはまるで舞台の背景画のようだった。炎の海の上に掲げられた旗は、動くことなく静止し、そこに描かれた聖人の刺繍や絹の房飾りまでもがくっきりと浮かび上がっていた。そして、その大きな輝きは岩壁を照らし、バシリカ(大聖堂)の尖塔にまで届いていた。今、その塔は、漆黒の空を背景に、白く際立ってそびえている。その一方で、ガーヴ川の向こう側では、丘の上に建つ修道院の白いファサードが、木々の暗い葉の間にぼんやりと浮かび上がっていた。

 しばらくの間、行列は動き出す様子がなかった。炎の湖は、まるで無数の小さな波が煌めきながら押し寄せるかのように、星々の輝きを湛えて揺らいでいた。そのまま堰を切って、燃える川のように流れ出してしまうのではないかと思われた。やがて旗が揺れ、群衆の中に動きが生まれた。

「おや?」とゲルサン氏が驚いたように声を上げた。「行列はここを通らないのかい?」

 ピエールは、よく知っている様子で説明した。「行列は、まず丘の斜面に設けられたつづら折りの道を登るんです。かなりの費用をかけて整備された道ですよ。そして、大聖堂の裏側を回った後、右側のスロープを下って庭園へと広がっていくんです。」

「ほら、もう先頭のろうそくが、あの緑の中に見えますよ。」

 それはまるで魔法のような光景だった。広がる炎の源から、小さな光がいくつも離れ、ふわりと宙に浮かぶように静かに上昇していく。その灯火を地上に繋ぎとめているものは何も見えない。暗闇の中に、まるで太陽の塵が舞い上がるかのように、無数の炎が揺れている。

 やがて、それらの光は斜めの一筋の線を描き始めた。そしてその線は急な角度で折れ曲がり、新たな光の列が現れる。それもまた次の折れ曲がりを作りながら進んでいく。ついには丘全体が炎のジグザグ模様で縁取られた。それは、嵐の夜に暗黒の空を引き裂く稲妻のようだった。しかし、この光の筋は消え去ることなく、途切れることなく、ゆっくりと、静かに滑るように丘を登っていった。

 時折、突然の闇が訪れることがあった。行列が木々の茂みに入り、一時的に光が遮られるのだった。しかしその先で、ろうそくの灯は再び現れ、また天へと向かって昇っていく。つづら折りの道を、何度も遮られ、何度も再び輝きを取り戻しながら。

 やがて、光の列が丘の頂上へとたどり着いた。そして、最後の折り返しを過ぎると、炎の帯は闇の中へと消えていった。

 群衆の中から声が上がった。
「ほら、彼らがバジリカの裏手に回ったぞ」
「まだ向こう側へ降りてくるまで20分はかかるな」
「そうですね、奥様。3万人いますからね。一時間後には、やっと最後の人たちが洞窟を出る頃でしょう」

 出発した時から、群衆のざわめきの中から賛歌が聞こえていた。それはベルナデットの哀歌であり、60節もの長い歌詞が続き、折々に「天使祝詞」がリフレインとして繰り返される。この60節が終わると、また最初から歌い始め、果てしなく続いていく。
「アヴェ、アヴェ、アヴェ、マリア!」
 その単調なリズムが人々の意識を揺さぶり、身体を疲労させ、やがて数千もの魂を、まるで覚醒したままの夢の中、楽園の幻影へと運んでいく。夜、巡礼者たちが眠りについた後も、その揺らぎが身体に残り、夢の中でも彼らはなおその歌を口ずさむのだった。

「ここにずっといるのかい?」 せっかちで疲れやすいゲルサン氏が尋ねた。「もう、ずっと同じことの繰り返しじゃないか」
 マリーは群衆のささやきに耳を傾けながら、ピエールに向かって言った。
「あなたの言う通りだったわ。やっぱり向こうの木の下に戻りましょう……すべてを見ていたいの」
「もちろんだよ」 ピエールは答えた。「君がすべてを見渡せる場所を探そう。ただ、ここから抜け出すのが大変そうだな」

 実際、単なる見物人たちの群れに3人はすっかり囲まれていた。
 ピエールは少しずつ慎重に道を開きながら、「病人のために、少しだけ道を……」と懇願しながら進んだ。
 その間もマリーは振り返り、洞窟の前に広がる無数の炎の波を見つめていた。それはきらめく小さな波が無限に広がる炎の湖のようで、そこから流れ出る行列は尽きることがないように見えた。一方、ゲルサン氏は行列の後ろに回り、押し寄せる群衆から車椅子を守るようにしていた。

 ようやく3人は人混みを抜け、ほとんど誰もいない場所にたどり着いた。
 それは一本のアーチのそばで、しばし息をつくことができた。今や耳に届くのは、遠くからかすかに響く、あのしつこいリフレインだけ。目に映るのは、バジリカの方角に漂う、燭火の光を映した淡い雲のような輝きだけだった。

「一番いい場所はカラヴァリオの丘の上だよ」 ゲルサン氏が断言した。
「今朝、ホテルの女中も言っていた。あそこからの眺めは魔法のように美しいそうだ」

 しかし、それは考えるべきことではなかった。
 ピエールは強く反対した。
「こんな夜中に、車椅子を押してあんな高い場所まで行けるわけがない。
それに、降りる時はさらに危険だ。暗闇の中で人混みに押されでもしたら、大変なことになる」

2 件のコメント:

  1. ろうそく行列は視覚的にたいそう美しい場面ですね。
    >夜、巡礼者たちが眠りについた後も、その揺らぎが身体に残り、夢の中でも彼らはなおその歌を口ずさむのだった。
    この描写は興味深いですね。
    現代で言えば、ロックコンサートでスタンディングでいえ~いってノリノリに楽しんだ後、寝床についた後も興奮覚めやらぬという感じでしょうか。
    集団による反復的宗教的儀式が精神的、生理的にもたらす効果ですね。

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    1. まさにそれですね!現代の感覚で言えば、大音量のライブで全身を揺らしながらコール&レスポンスを繰り返し、終演後も体がリズムを刻んでしまうような感覚でしょう。あるいは、長時間ダンスを続けた後に、体が勝手にビートに乗ってしまうような「残響感」とも言えますね。

      このろうそく行列の場面は、単なる視覚的な美しさにとどまらず、 **宗教的なトランス状態** に近いものを描いているように思います。反復的な賛歌、ゆらめく炎、膨大な人々の歩みが同調し、意識が夢と現実の間を漂う――これは、音楽フェスやスポーツの大観衆の一体感とも共通する心理的メカニズムです。

      ゾラは懐疑的な視点を持ちながらも、こうした **「集団体験が生む神秘的感覚」** を見事に描写していますね。理性では説明できないが、たしかに「感じる」ものがある、という。こういう場面を読むと、人間はどの時代も「共鳴する何か」を求めているのだなと感じます。

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