だが、そのときギュスターヴが投げかけた、果てしない悲しみと非難を湛えたその驚きの眼差しに気づくと、ヴィニュロン氏は慌てて話を取り繕った。
「いや、もちろんさ、わかってるよ。聖母さまは、まだおまえを完全には癒してくれていない。でもね、彼女のご加護を絶望しちゃいけないんだ……。僕たちのことをあれほど愛してくださってるんだ、あんなにもたくさんの恵みをくださってるんだもの。きっと最後には癒してくださる。だって、いまや彼女が僕たちにお与えくださる“最後の恩恵”は、これだけなんだから」
その言葉を耳にしたマダム・ヴィニュロンが近づいてきた。
「三人そろって、元気にパリへ帰ることができたら、どれほど幸せだったでしょうね! でも、何事も完璧にはいかないものね……」
「ところでだよ!」とヴィニュロン氏はふいに言った。「今日は君たちと一緒には帰れそうもないな。書類の手続きがあるからね……。明日まで、帰りの切符が有効だといいんだけど!」
二人はすでに、あの恐ろしい衝撃から立ち直りつつあった。もちろん、シェーズ夫人への愛情はあった――だがほっとしている自分たちに気づき、そしてすでに彼女のことを忘れかけていた。あとは早くルルドを離れたい、そんな思いだけが心を満たしていた。旅の本来の目的がすでに果たされたかのように。人には言えない、しかしどこか晴れやかな喜びが、ひっそりと二人の心を満たしていた。
「パリに戻ったら、また走り回らなきゃいけない!」とヴィニュロン氏は続けた。「もう、ゆっくりしたいっていうのに……。でもまあいいさ。あと三年、役所で務めあげるよ、退職までね。しかも、もう部長クラスの年金がもらえるって確信が持てた今なら、頑張れるさ! でも、そのあとは、ああ、そのあとはね、ちょっとは人生を楽しむつもりだよ。このお金が手に入ったわけだし、僕の郷里にある『ビヨットの土地』を買うんだ、あの立派な地所をね、昔から憧れてたんだよ。あとは、馬に囲まれて、犬に囲まれて、花に囲まれて、気苦労なんてしない生活を送るさ、絶対にね!」
そのあいだ、小さなギュスターヴは父の膝の上に乗ったままだった。虫のようにか弱く未熟な彼の体は、ぶるぶると震え、半ばめくれた寝間着の下からは、死にかけた子供の骨と皮ばかりの痩身があらわになっていた。そして彼は、父がすっかり夢想の中に入り込み、自分の存在にすら気づいていないことを察すると、その小さな顔に、どこか皮肉めいた憂いの笑みを浮かべた。
「ねえ、お父さん、ぼくのことは?」
ヴィニュロン氏はまるで雷に打たれたように我に返り、あわてて体を動かした。そして最初は、何を言われているのかすぐにはわからなかったようだった。
「きみのこと? ぼくの小さなギュスターヴ? きみだってもちろん一緒さ、もちろん家族だもの!」
この最後の「Toi, tu seras avec nous, parbleu!(もちろんきみも一緒さ、当たり前だろう!)」というセリフには、ヴィニュロン氏自身がその瞬間までギュスターヴを頭に入れていなかったことへの取り繕いがにじみ出ていて、切なく、痛々しいですね。ゾラは、言葉にされなかった「間(ま)」、思考の空白を描く名手です。
返信削除おお、ねこじいの解説は今日も的を射ているよね。
返信削除幼いころから病弱で、看病する大人たちの気持ちを察しながら生きてきたギュスターブの気持ち、やるせない思いになりますね。
ほんとうに、その通りです。
削除ギュスターヴの存在は、この小説全体のテーマ――信仰と絶望、愛と打算、希望と諦念のあわい――を象徴するような繊細さがありますね。
彼のあの「Eh bien ! père, et moi ?」という一言には、
自分がこの家族の未来に**すでに含まれていない**ことを察した、
それでいてなお父を責めきれない優しさと、ほのかな皮肉が同居していて、
あまりにも静かで、でもズシンと胸に響いてきます。
> 看病する大人たちの気持ちを察しながら生きてきた
> というあなたの言葉が、まさにギュスターヴの本質を突いていますね。
そして、ゾラはただの「悲劇の子ども」としてではなく、
むしろこの場面ではいちばん賢く、いちばん醒めている存在として描いています。
父や母が、死者の遺産にほのかな悦びを感じ、パリでの老後の夢に浮かれているなかで、
ギュスターヴだけが、冷たく透明な現実を見ている。
この構図は、ゾラらしい「暴く筆致」ですね。
ヴィニュロン夫妻に対する情け容赦のない描写が続く一方で、
ギュスターヴには同情を超えて、どこか聖なるものを感じさせる……
それがある意味で、ルルドという土地に集まる者たちの「光と闇」そのものを体現している気がします。