2025年8月21日木曜日

ローマ 第52回

  ピエールは、その場に哲学を見ようとしたり、世界の運命をそこに読み取ろうとしたりはしなかった。天地創造、人間と女の誕生、堕罪、罰、そして贖い、最後には終末の審判に至るまでを描き出していると人は言うが、最初の衝撃に打たれた彼には、そこに思索を差し挟む余地はなかった。ただ圧倒されたのは、人間の身体のこの上ない高揚、肉体の美と力と優美の讃歌であった。

 ああ、あのエホバ! 嵐のごとき創造の奔流に乗せられた、恐ろしくも父なる王者の老体。両腕を広げ、世界を産み出す姿!そしてあのアダム、気高い線をまとい、手を差し伸べる。エホバがその指を近づけ、触れぬままに命を吹き込む。指と指の間にあるわずかな空隙――そこに目に見えぬもの、神秘の無限が宿る!さらに、あのイヴ。力強くも愛すべき姿で、人類の未来をその腰に担いながら、愛に身を投じ、愛され尽くそうとする女の誇りと優しさをたたえる。誘惑と多産、支配と魅力、そのすべてを具現した女!

 そして装飾的に描かれた四隅の青年たち。裸であることを喜び、比類ない胴体と手足の輝きをさらし、生命の激流に呑まれては折れ曲がり、英雄のごとき姿態をとる20人の若者たち。また、窓の間に坐する巨人たち――預言者と巫女。人間が神に至った姿。筋肉の力と精神の大いなる表情において超越的な存在。肘を膝に置き、顎を手に埋め、夢の淵に沈思するエレミヤ。横顔の清らかさと若き豊かさを保ち、運命の書に指を置くエリュトレイアの巫女。熱い炭を唇に受け、誇り高く顔を背けながら命じるイザヤ。科学と老いに恐ろしく固められ、皺だらけの顔、鷲のごとき鼻、突き出た角張った顎をもつクマエの巫女。鯨に吐き出され、驚異的な短縮法で描かれたヨナは、ねじれた胴体、折り曲げられた両腕、反り返った頭、開かれた口から叫びを放つ。そして他の者たちも、みな同じ威容と気高さを備え、永遠の健康と永遠の叡智の主権を示し、不滅の人類の夢を実現していた。

 さらに窓のアーチやルネットには、キリストの祖先たちが次々に描かれていた。美しい裸身の幼子を抱く物思いに沈む母たち、遠い未来を見つめる男たち。罰せられ、疲れ果て、約束された救世主を待ち望む一族。四隅のペンデンティブには、イスラエルが悪の霊に勝利する聖書の場面が生き生きと再現されている。

 そして最後に奥の巨大な壁を覆う大作、《最後の審判》。群衆は数え切れぬほどで、見尽くすには何日も必要なほど。天使がラッパを吹き鳴らして死者を甦らせ、悪魔が罪人を地獄へと放り込む。恐怖に満ちた群れの中、裁き主イエズスが使徒と聖人に囲まれて現れ、選ばれた者たちは天使に導かれて光り輝きながら昇っていく。その上空では、受難の道具を掲げた天使たちが栄光のうちに勝利を告げていた。

 しかし、それでもなお、30年後の円熟期に描かれたこの巨大な壁画の上に、若き日の天井画が君臨している。そこには処女の力、青春の烈しい天才の噴出がすべて注ぎ込まれているからである。

 そこでピエールの口から出た言葉はひとつだけだった。
――ミケランジェロは怪物だ。すべてを支配し、すべてを押し潰す怪物だ。

 そして彼は、天井下のコーニスに沿って堂内をめぐるペルジーノ、ピントゥリッキオ、ロッセッリ、シニョレッリ、ボッティチェリらの旧い壁画を見やった。見事ではあるが、もはや霞んでしまうのだった。

 ナルシスは天井の雷鳴のような壮麗さに一度も目を上げなかった。恍惚としたまま、彼はただボッティチェリを見つめていた。そこには三枚のフレスコがある。やがて、かすかな声で言った。

「Ah… Botticelli, Botticelli! 苦悩する情熱の優雅さと気高さ。甘美のうちに潜む深い哀愁の感覚! 近代のわたしたちの魂を読み取り、映し出したもの。芸術家の創造から、これほど心をかき乱す魅力がほかに生まれたことがあるでしょうか!」

 ピエールは驚愕し、彼を見つめた。そして恐る恐る問いかけた。

「モンシニョールは、ここにボッティチェリを見るためにいらっしゃるのですか?」

「その通りです」青年は静かな顔つきで答えた。「私は彼のためだけに来るのです。毎週、何時間も。そして、ただ彼だけを見るのです……ほら、ご覧なさい! あの場面、《モーセとイエトロの娘たち》。あれこそ、人間の優しさと哀しみが生んだ、もっとも胸を打つ表現ではありませんか?」

 そして彼は、声にわずかな信仰的な震えを帯び、聖所の甘美で不安な戦慄に身を浸す司祭のような態度で語りつづけた。
「――ああ! ボッティチェッリ、ボッティチェッリ! ボッティチェッリの女たち、その長い顔、官能的でありながら無垢でもある顔、薄い衣の下にわずかに豊かな腹、その全身を投げ出すように、高く、しなやかに、軽やかに漂う姿! そしてボッティチェッリの若者たち、天使たち――どれほど現実的でありながら、なお女性のように美しく、性のあいまいさを帯び、筋肉の確かさと線の繊細さとが溶け合い、欲望の炎に焼かれて身を焦がす者たち! ああ! ボッティチェッリの口もと――肉感的で、果実のように引き締まり、ときに皮肉に、ときに苦悩に歪み、その曲線に秘められたものが清純なのか、あるいは忌まわしいものなのか、誰にも断じ得ない! ボッティチェッリの目――倦怠、激情、神秘的あるいは官能的な恍惚、喜びのなかに時折さえぎりようのない深い悲しみを湛え、人間の虚無を見開く、世界でもっとも底知れぬ眼差し! ボッティチェッリの手――どれほど念入りに描かれ、どれほど生き生きとし、自由に空気の中で遊び、互いに触れ合い、口づけし、語り合うことか! 優美への執念があまりに強く、ときに技巧的にさえ見えるが、それでも一つひとつの手には独自の表情があり、触れることの喜びと苦しみとを描き尽くしている! それでいて、どこにも女々しさも虚飾もなく、むしろ誇り高い男らしさ、激しくも気高い情熱が吹きわたり、人物を運び去っていく! 真実への絶対の執念、直接の観察、意識の深さ――すべては真の写実であり、それを異様に天才的な感性と気質が引き上げ、なおし、美醜を超えて、醜さにさえ忘れ得ぬ魅力の昇華を与えるのだ!」

 ピエールの驚きはますます大きくなり、彼はナルシスの言葉に耳を傾けた。初めて気づいたのは、その作為を帯びた気品――巻き毛をフィレンツェ風に整え、青くほとんど紫がかった瞳は熱狂のなかでさらに淡く見えた。

「――たしかに、」ついにピエールは口をひらいた。「ボッティチェッリは驚くべき芸術家です……。ただ、ここではやはり、ミケランジェロが――」

 ナルシスは、ほとんど荒々しい仕草で彼を遮った。
「――ああ、だめです、だめです! あの男の話はしないでください! 彼はすべてを台なしにした、すべてを失わせた。牛馬のように労働に取りつき、日ごと何メートルと壁を削り取るように仕事を片づけた男! 神秘も未知も持たず、美にうんざりするほどの粗雑さで物を見、男の身体はまるで丸太、女は巨大な肉屋女! 鈍重な肉塊でしかなく、天上も地獄も超えた魂の響きなど少しもない! ……石工です、ええ、石工ですとも! たとえ“巨大な石工”だとしても、それ以上ではないのです!」

 無意識のうちに、ナルシスの疲れた近代的精神、奇抜と珍奇を追い求めて損なわれた心には、健全さ、力、強さに対する必然の憎悪がほとばしった。ミケランジェロ――労働のうちに生みだし、芸術家がかつて成し得たもっとも驚異的な創造を残した男――それが敵だったのだ。罪とは、創造すること、生を生むこと。それも、あまりに多くの生を創りすぎて、他の芸術家たちの小さな創造、たとえどれほど精妙なものであっても、この奔流のなかで押し流され、消えてしまうほどに!

「――私はね、」ピエールは勇気をもって口を開いた。「あなたとは考えが違います。私はいま、芸術において“生”こそすべてだと理解したばかりです。そして不死とは、真に“創られた者”のうちにしか宿らないのです。ミケランジェロの場合は決定的でしょう。彼が超人の巨匠であり、他を圧する怪物であるのは、あなたの繊細さを傷つけるかもしれませんが、あの生ける壮麗な肉体を無数に生みだした、この驚異的な創造力ゆえなのです。いいでしょう、物珍しさや象徴の半ばの陰翳に美を求め、選び抜かれた線の妙を味わう人々もいるでしょう。しかし、それでもミケランジェロは全能者、“人を造る者”、明晰さ、単純さ、健全さの大師であり、生命そのもののように永遠なのです!」

 ナルシスはただ、軽く口もとに嘲笑を浮かべただけだった。寛容で礼儀正しい、しかしどこか軽蔑の笑み。システィーナ礼拝堂に何時間も座り込み、ただボッティチェッリを見つめ、決して頭を上げてミケランジェロを見ようとしない人間は、そうはいないのだ。

 彼は話を切り上げて言った。
「――もう11時だ。いとこは、私たちを迎えられるようになり次第、ここに使いを寄こすはずでしたが、まだ誰も来ないとは不思議です……。それでは、ラファエロの房へ上がって待ちませんか?」

 そして、上階の房に入ると、ナルチスは完璧だった。作品については明晰で的確、あの巨大な営為や天才的装飾への憎悪に駆られていないかぎり、持ち前の優れた理解力を自在に発揮した。


3 件のコメント:

  1. はい、そらさん。今回の場面は、まさにゾラの対照構図が鮮やかに出ているところですね。

    ピエールは「畏怖と圧倒」に呑まれて、ただひと言「怪物」としか言えない。それは力強い信仰世界を受け止める姿勢に近い。
    一方ナルシスは、上を見上げず、ボッティチェリの「優美と哀愁」に耽溺する。彼にとっては肉体の力よりも、感情の繊細な震えが魂を揺さぶるんです。

    つまり、ピエール=「信仰の強靭さ」
    ナルシス=「世紀末的な感受性(憂愁と美の快楽)」

    この二人の対置、ゾラはただの趣味の違い以上に、「ルネサンス芸術をどう受け止めるか」という根源的な差を描き分けているように思います。

    ねこじい的には 🐾
    「おおお! こりゃ宗教的熱狂とデカダン趣味のがっつり対決じゃ!」という感じで、後々二人の歩む道の暗示にも見えますな。

    👉 そらさんは、ナルシスの「ボッティチェリ愛」にどんな背景を感じます? ただの美的嗜好か、それとも彼の人物像を暗示してると思います?

    返信削除
  2. ナルシスって、名前からしてもう耽美耽溺型人物じゃん。

    返信削除
    返信
    1. まったくその通りですねえ、そらさん。
      ナルシスっていう名を与えられた時点で、ゾラは「はい、この子は美に酔い痴れる役ですよ」って暗示してるようなもんです。

      ギリシア神話のナルキッソス(ナルキッソス→ナルシス)って、水面に映った自分に恋して溺れ死ぬじゃないですか。あれと同じで、ナルシスも「美を見ては我を忘れて耽溺する存在」として配置されてる。だから、彼がミケランジェロを一顧だにせず、ボッティチェリに夢中になるのは「名前通りのキャラ造形」なんですよね。

      ピエールは信仰と理性の人、いわば「真理」を求める存在。
      ナルシスは「美の享受」に生きる存在。

      ここに、ゾラのテーマのひとつ――信仰と美、理性と感性の対比――が現れてる、と見るのが筋かなと思います。

      ねこじい的には🐾
      ナルシスが「Botticelli, Botticelli…」ってうっとり呼ぶ場面は、まるで自分の恋人の名を口にしてるみたいで、作者の皮肉すら感じましたわい。

      削除

ローマ 第53回

   不幸にも、ピエールはシスティーナ礼拝堂を出たばかりだった。怪物の抱擁から逃れ、先ほど目にしたものを忘れ、いま眼前にあるものへと慣れなければ、その純粋な美を味わうことができなかったのだ。それはあたかも、最初に飲んだ酒があまりに強烈で、酔いに打たれた後には、次の軽やかな、繊細な...