2025年10月22日水曜日

ローマ 第114回

 ピエールは立ち上がり、もう話を聞いているふうでもなく、部屋の中を行ったり来たりして、思考の混乱に押し流されているようだった。

「さあ、さあ、分からねばならない。闘いを続けるつもりならね。君は私のために、私の件で関係者を一人ずつ詳しく教えてくれる義務がある。イエズス会だ、イエズス会だらけだって! まったく、神よ、そうかもしれない、君の言う通りかもしれぬ。だが細かい差異を言ってくれねば。例えば、あのフォルナーロはどうなんだ?」

「モンシニョール・フォルナーロはね、まあ望むところの人物だよ。だがやはりあれもコレッジ・ロマーノで育てられた人間だ。教育も立場も野心もあって、イエズス会的だと考えて間違いない。枢機卿になりたくてならない人間で、もし枢機卿になれば教皇になりたがる。みんな、神学校の段階から教皇候補さ!」

「サングィネッティ枢機卿は?」

「イエズス会だ、イエズス会だ!…わかるだろう、かつてはイエズス会だったかもしれぬ、ある時期はそうでなく、また今はたぶんそうだ。サングィネッティはあらゆる勢力とつきあってきた。長くは、聖座とイタリアの和解を図る存在だと見なされたが、のち事態が険悪になって彼は反対派に強く立ち向かった。何度もレオ十三世と仲違いし、和解し、今は外交的に慎重な立場でバチカンにいる。要するに彼の狙いは教冠(ティアラ)だけだ。それがあまりに露骨で、候補者としては消耗している。しかし今のところ、争いは彼とボッカネーラ枢機卿の間に収斂している。そのため彼はイエズス会と手を結び、ライバルを排斥するために彼らの憎悪を利用しようとしている。だが私には疑いがある、イエズス会は狡猾だから、すでにあまりに疑わしい候補者を全面支援するかどうか躊躇するはずだ。彼は粗野で激情家で傲慢だ。君が言うように彼はフラスカーティにいるのだろう、教皇の病気の報に接して戦術上そこで籠もったのだろう。」

「では教皇レオ十三世は?」

 ドン・ヴィジリオは短くためらい、まぶたをわずかに瞬かせた。

「レオ十三世? 彼もイエズス会的だ、イエズス会だ! ああ、ドミニコ会派だと人は言うが、それは表向きだ。彼はトマス主義を復興させ、教義教育を整えたゆえにドミニコ会に近いと見えるだけだ。だが知らず知らずのうちにイエズス会の精神に染まっている。彼の政策をよく見れば、あらゆる影響がそこから出ているのが分かるはずだ。なぜ信じない? 彼らはすべてを制し、ローマは彼らのものだと私は言う。末端の聖職者から聖座に至るまで。」

そうしてピエールが挙げる名前ごとに、ドン・ヴィジリオは執拗に、ほとんど取り憑かれたようにこう叫んだ。「イエズス会だ、イエズス会だ!」 教会の中で他の存在がありえないかのように、あらゆる現象をその説明に当てはめていった。時代の英雄的なカトリシズム(カトリ ック精神)は終わり、これからの教会は外交と狡猾な妥協、駆け引きと調整によってしか生き延びられない——というのが彼の結論のようであった。

「そしてあのパパレッリも、イエズス会だ、イエズス会だ!」とドン・ヴィジリオは声をひそめ、思わず身をかがめるようにして付け加えた。「あれは謙虚で恐るべきイエズス会士だ。監視と堕落工作の最も忌まわしい職務を負わせられた人間だ。私は断言する、彼はここに置かれて、ソン・エミネンツァ(枢機卿)を監視している。彼がどんな柔軟で巧妙な才能でその任務を果たしているかを見ねばならない。今や彼は唯一の意志の源であり、誰を出入りさせるかを決め、主人を己の物のように使い、彼の決断に影響を与えている。これはまるで獅子を虫が征服するようなものだ。微細な者が巨大な者を支配する。あのつまらぬ小さな僧が、枢機卿の足元に座る犬のように見えて、実は彼を支配している。ああ、イエズス会め、イエズス会め! 奴らが黙って通り過ぎる時は要注意だ。扉の裏に、箪笥の奥に、ベッドの下に潜んでいるかもしれん。奴らは君を私と同じように喰らうだろう。そして、気をつけねば熱や疫病を与えられる——分かるか!」

 

2 件のコメント:

  1. イエズス会はQアノンかよって感じですわ。
    ところで、フラスカーティはローマ近郊の都市だと思うのですが、結構重要なところのようですね。

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    1. 確かに、ドン・ヴィジリオのヒートアップぶりは、陰謀論者の偏執そのものですね。あの調子で「イエズス会!イエズス会!」と連呼されると、ゾラが意図的に「宗教界にもQアノンみたいな陰謀思考がある」と風刺しているようにすら見えてきます(笑)
      でもゾラは、彼の妄執をそのまま真実とはしていない。むしろ“陰謀の空気が蔓延した組織の不健康さ”を描きたいのだと思います。そこがうまい。

      ■ フラスカーティとは何者か?
      ご指摘の通り フラスカーティ(Frascati) はローマ近郊(ラツィオ州)の町で、カステッリ・ロマーニ地方の一角です。なぜ重要視されるのかというと、当時のヨーロッパにとって次のような意味がありました。
      役割
       説明
      枢機卿や高位聖職者の別邸地帯
       ローマの喧噪や派閥争いから離れ、気候の良い丘陵地で過ごす場所
      高位聖職者の“静養”または“戦略的隠遁”の場
       病気療養の名目で「政治的な一時退避」に使われることが多い
      教皇選出(コンクラーヴェ)を見据えた動きの拠点
       教皇が危篤になると、人脈の駆け引きのためカードを切る場所になる

      つまり、ゾラの該当箇所でドン・ヴィジリオが言う
      「サングィネッティは教皇の病の報を聞いてフラスカーティへ籠もったはずだ」
      というのは、
      =“いざ教皇が死んだら、自分が次の教皇になるために、水面下の工作をする準備に入った”
      という政治的読解ができるわけです。
      静養に見せかけた実は選挙活動。
      霊的指導者がやることじゃないのに、やっている。
      ゾラが描くローマの腐敗象徴のひとつですね。

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