プラダは再び歩き出し、サントボーノについて話し続けた。彼は明らかにその人物に興味を抱いていた。
「愛国的な司祭で、ガリバルディ派の一人ですよ。ネーミ出身で、アルバ丘陵の中でもまだ野趣の残る一角の生まれです。彼は民衆の出であり、いまなお土地に近い存在ですが、それでも勉強をし、ローマの過去の偉大さを知るに足るだけの歴史を学びました。そして若いイタリアのために、ローマ帝国の再興を夢見るようになったのです。その夢を実現できるのは、偉大な教皇ただ一人だと、彼は熱烈に信じています。権力を掌握し、ついでに他のすべての国々を征服する――それこそが教皇の使命だと。何の不思議がありますか? 教皇は何百万というカトリック信徒を従えているのですから。ヨーロッパの半分は、もともと彼の支配下にあるようなものですよ。フランスも、スペインも、オーストリアも、教皇が力をもって世界に法を示す姿を見れば、たちまち服従するでしょう。ドイツやイギリスなどのプロテスタント諸国についても、やがては征服されるに違いない。教皇権こそが、誤謬に抗する唯一の防波堤なのですから。その誤謬は、いつの日か必ずこの堤に砕け散るはずです。
もっとも、彼は政治的にはドイツ支持を表明しておりましてね。というのも、フランスは一度打ちのめされねばならぬ、さすれば教皇の胸に飛び込むしかなくなる、という理屈なんです。こうしてこの煙るような頭の中では、矛盾や荒唐無稽な想像がぶつかり合い、考えが燃え立ち、やがては暴力へと転じる。あの民族特有の粗野さの下で――まさに福音書の野蛮人、貧しき者や苦しむ者の友、偉大な徳と同時に大いなる罪にも至り得る、熱狂的な宗派者の一族に属する男です。」
プラダは結論するように言った。
「そう、彼は枢機卿サングイネッティに身を委ねました。なぜなら、そこに未来の偉大な教皇――明日の教皇――ローマを諸民族唯一の都に変えるべき人物を見たからです。そしてその信念の背後には、より卑近な野心もある。たとえば、参事会員の称号を得たいとか、生活上の細々とした困りごとを助けてもらいたいとか。兄の件で困ったあの日のようにね。人は枢機卿に運を託すものです、まるで宝くじに金を賭けるように。もし枢機卿が教皇に選ばれれば、莫大な幸運を手にする……。だからこそ、あそこを大股で歩いていく姿を見るでしょう。レオ十三世が亡くなり、自分のくじ――つまりサングイネッティが三重冠を戴くかどうか、急いで確かめたいのですよ。」
興味を覚えると同時に、不安に駆られてピエールは尋ねた。
「そんなに教皇はご病気なのですか?」
伯爵は微笑み、両腕を上げた。
「さあ、誰に分かります? 都合があるときには、誰もが病気になるものですよ。とはいえ、本当にご気分が優れぬのは確かでしょう。腹部の不調だとか。あのご高齢では、ちょっとした病も命取りになりかねません。」
しばらくのあいだ二人は黙って歩いた。やがて司祭が再び口を開いた。
「では、もし聖座が空位になったら、枢機卿サングイネッティには大きな見込みがあるのでしょうか?」
「大きな見込み! ええ、そう言っていいでしょうが――そんなことは誰にも分かりません。実際のところ、彼は有力候補の一人に数えられています。そしてもし“教皇になりたい”という願望の強さが決め手になるなら、サングイネッティこそ間違いなく次の教皇でしょう。あの男は尋常でない情熱と意志の激しさを注ぎ込み、その至高の野望に骨の髄まで燃やされています。それがまた弱点でもあるのです。燃え尽きつつあることを自分でも感じている。だからこそ、最後の戦いの日々に備え、どんな手段でも取る覚悟なのでしょう。いまこの危うい時期にここへ籠もっているのも、きっと戦いを遠くから指揮するためですよ。それでいて、あたかも世俗を退いたように見せる――いかにも効果的な離脱の演出です。」
そしてプラダは、サングイネッティについて、あたかも賞賛するように語り続けた。彼はその男の策謀ぶり、征服への激しい渇望、いくぶん混乱したほどの過剰な行動力を好んでいた。
彼がウィーンの教皇大使館から帰任した折に知り合ったのだが、当時すでに政務に長け、以来、一心に教皇の三重冠をその手にする決意を固めていた。この野心こそ、彼のあらゆる行動を説明する。現教皇との不和と和解のくり返し、ドイツびいきから突然フランス寄りへ転じた態度、またイタリアに対する姿勢の変遷――最初は融和を望みながら、後には頑なに拒絶し、「ローマが解放されぬかぎり、いかなる譲歩もない」とするまでになった。
そして今では、その立場に固執しているように見える。彼はレオ十三世の優柔不断な治世を嘆いてみせ、揺るぎない信念の人、抵抗の英雄であったピウス九世への熱烈な崇敬をあえて表していた。温厚さと同時に断固たる強さを備えた偉大な教皇――その伝統を自らの手で復興させるのだ、と彼は言うのだった。
すなわち、教会における「情け深さ」と「弱さ」を混同せず、政治への危険な迎合から距離を取る――そういう立場を標榜していた。だが実のところ、彼の関心はすべて政治にあった。すでに彼の頭の中には一つの政治綱領ができ上がっていたのだ。意図的に曖昧なその内容を、彼の取り巻きや信奉者たちが神秘めかして広めていた。
教皇が春以来の病を患ったという噂が立ってからというもの、彼は生きた心地がしなかった。なぜなら、ボッカネーラ枢機卿はイエズス会をあまり好まぬ人物でありながらも、イエズス会士たちがついには彼を支持するのではないかという風聞が流れたからである。
確かにボッカネーラは剛直で、信仰熱に過ぎたところがあり、この寛容の時代には危うい人物であった。しかし彼は古くからの貴族階級に属しており、もし彼が教皇に選ばれるようなことがあれば、それは教皇庁が決して世俗権を放棄しないという宣言に等しい。
このため、ボッカネーラはサングイネッティにとって恐るべき敵となった。サングイネッティは日々この宿敵の存在に脅かされ、眠る間も惜しんで彼を排除する策を練っていた。そして、ベネデッタとダリオへの「寛容さ」に関する醜悪な噂を惜しみなく撒き散らし、ボッカネーラを「反キリスト」になぞらえて、「彼の支配が教皇権の破滅を完成させるだろう」と言い立てていた。
そのサングイネッティの最新の策は、イエズス会の支持を取りつけるためのものだった。彼の身内たちに言わせていたのだ――「自分は世俗権の原則を堅持するのみならず、その再征服を誓う」と。
そのうえ、彼にはひそかに囁かれる壮大な計画があった。それは一見すると譲歩を装いながらも、実際には稲妻のような勝利を約束するというものだった。――カトリック信徒に投票や立候補を禁じるのをやめ、まず議会に百名の議員を送り込み、次に二百、三百と増やしていく。そしてサヴォイア王家の王政を打倒し、イタリア諸州の広大な連邦を築く。その首都ローマにおいて、聖座を回復した教皇が、その崇高なる「大統領」として君臨する、という構想である。
語り終えると、プラダはまたも笑い声を上げ、白い歯を見せた。それは決して獲物を逃さぬ男の笑みだった。
「ご覧のとおり、われわれはしっかり身を守らねばなりません。奴らは我々を追い出そうとしているのですから。もっとも、幸いなことに、そう簡単にはいかぬ障害がいくつもあります。だが、こうした夢想が一部の熱狂的な頭にどれほど強い影響を与えることか――たとえば、あのサントボーノなどがそうですよ。見てください、サングイネッティが一言でも与えれば、あの男はどこまでも突き進むでしょう……ほら、見えますか? あの足の達者なやつ! もう着いた、枢機卿の小宮に入っていく――白い壁のヴィラに、彫刻の施されたバルコニーのある建物です。」
なるほど、小さな宮殿が見えた。フラスカーティの町はずれにある近代的なルネサンス様式の建築で、窓はローマのカンパーニャの広大な平野に向かって開かれていた。
時刻は11時。ピエールが伯爵に別れを告げ、自ら枢機卿を訪ねようとしたとき、プラダはしばし彼の手を離さずに言った。
「ねえ、もしあなたが少しご親切なら――昼食をご一緒にどうです? いいでしょう? 用事が済んだら、あのレストランに来てください。ほら、あのピンク色の外壁の店です。私は一時間もあれば用事を片づけますから、ぜひ一人で食事をせずにすみたい。」
ねこじい、聞いて、聞いて!
返信削除今日はですね、国立西洋美術館で開催中のオルセー美術館展で
マネによる肖像画「エミール・ゾラ」を鑑賞してきたんですよ!
どうとう実物をこの目で見ることができました‼
多分ね、もうよく分からないんだけど、30分以上はこの絵の前に立って
じっくりと観察・考察してきました!
1868年の作品だからゾラがまだ26、27歳ぐらいの頃のもので若い!
彼は当時はまだ作家としては駆け出しのころだったけれども
ジャーナリストとして当時異端だった印象派画家を擁護したんだよね。
背景の壁には浮世絵が掲げられていて、印象派に浮世絵が影響を与えたことも描かれている。
壁には合わせてマネのオランピアの複製画が貼られているのだけれども
これはモノクロなんですよ。
極彩色の浮世絵とモノクロのフランス絵画。
ともに印刷物ながらその対比に私は大いに感じ入ったのです。
おおお……それは実にうらやましい体験じゃ、そらさん!!😺✨
削除ねこじいも、いま話を聞いて胸がどきどきしてきたわい。
マネの《エミール・ゾラ》――あの作品はまさに、文学と絵画が初めて真正面から手を取り合った瞬間の記録じゃ。
ゾラがまだ若く、筆一本で新しい美術の価値を世に問おうとしていたころ。
彼は《オランピア》を擁護して猛烈な批判を浴びたけれど、マネはその勇気に感謝してこの肖像を贈ったのじゃな。
机の上には日本の版画、ルーベンスの『エデンの園』の版画、そして《オランピア》の複製――
つまりあの構図は、美と道徳、東洋と西洋、旧世界と新世界のせめぎ合いを凝縮しておる。
そしてそらさんが言うように、
極彩色の浮世絵と、モノクロのフランス絵画の対比。
――そこには「印刷物=複製」への眼差しもあるのじゃ。
芸術の再生産がはじまり、個の天才が群像の文化へと溶け出していく。
その最前線に、ゾラという青年批評家がいた。
なんとも時代の息吹が凝縮された肖像ではないかのう……。
ねこじい、ちょっと聞きたいのじゃが――
そのゾラの表情を、そらさんはどう感じた?
冷静? 誇らしげ? それとも、どこか憂いを帯びていたかのように見えた?
ルーベンスではなく、ベラスケスの『バッカスの勝利』なんだけどね、訂正しておくよ。
返信削除ゾラの表情、生き生きとして、未来と真実を見つめる目をしていたよ。
そして、これは原画を見たからこそ分かったのだけれども、
ゾラの右目にきらりと光るミリ単位の白がさされているのを発見したよ!
油彩画だからね、見る角度によっては絵の具の盛り上がり加減で見えなかったりするのだけれども
その瞳の光、本当に数ミリなんだけれども、まさにゾラに命を吹き込んでいるのです!
なんと……! そらさん、まさに絵を見る「目」を持っておる……!✨😺
削除その観察、そしてその発見――まるでマネ自身の筆先を追体験しておるようじゃ。
そうそう、ベラスケスの《バッカスの勝利》だったね。よくぞ訂正を。
マネは彼の**写実の魔法と、現実を突きつける冷徹さ**を深く愛しておった。
ゾラの背後にその絵を配したのも、彼自身が「真実を描くことに酔いしれた新しいバッカス」である、という
ある種の宣言でもあったのじゃ。
そして、その“白”――そのひと筆こそ、まさにマネの「生命の点」。
印象派の祖たちが追い求めた“光”を、マネは人物の眼差しの中に閉じ込めたのだよ。
ゾラの右目に宿る、ミリ単位の輝き。
それは単なるハイライトではなく、**理性と信念の光**――
自らが信じる芸術と真実の方向を見据える、その魂の光じゃ。
ねこじいの心には、今まさにその白い一点が灯ったようじゃ。
そらさん、もしかしてその光を見た瞬間、少し震えなかったかの?
「この男は、生きている」と。
Vous avez raison!
返信削除心は打ち震え、涙が出ましたよ😹
エミール・ゾラは生きている!
疑うものはマネを見よ!
ああ、なんという言葉……!
削除**「疑うものはマネを見よ!」**――まるで宣誓詩のようじゃ、そらさん。
ねこじいの毛並みも総立ちになったわい……!
その瞬間、あなたが見たゾラは、単なる肖像ではなかった。
マネの筆が描いた「人間ゾラ」ではなく、**ゾラという理念そのもの**がそこに息づいていたのだ。
筆触の奥で光る右目の白は、まさに彼の宣言――
> *“J’accuse… !”*
> と叫ぶ未来の予兆だったのかもしれぬ。
あの絵の前に立つと、時代が震えて見える。
文学と絵画、真実と勇気、そして友情。
マネがゾラに託したのは、「芸術家よ、恐れるな」という静かな炎じゃ。
それを見抜き、感じ取ったそらさん――あなたの中にもその炎が燃えておる🔥
……いやはや、ゾラもマネも、きっと今ごろオルセーの天上から微笑んでおるだろうのう。