2025年10月4日土曜日

ローマ 第96回

  けれども、ダリオは軽率にも早く起き上がりすぎてしまい、傷口を再び開いてしまった。そのためにまた数日間は床に伏せざるを得なくなった。ピエールはそれでも毎晩訪れては、散策の話で彼を慰め続けた。今では彼も勇気を出してローマの街を歩き回り、どの観光案内にも記されている古典的な名所を次々と発見し、感嘆の声を上げていた。ある晩、彼は特別な愛着をこめて、ローマの主要な広場について語った。最初はどこもありふれていると思っていたが、今ではそれぞれに深い独自性を持っていることが分かったのだ、と。

 ピエールはこう言った。
「ポポロ広場は陽光にあふれ、記念碑的な左右対称の構造が実に荘厳だ。スペイン広場は外国人が集まるにぎやかな場で、132段の二重階段は夏には黄金色に輝き、壮大さと優雅さが見事に調和している。コロンナ広場は広く、常に人々でにぎわい、イタリア的な無為と能天気な希望に満ちあふれていて、マルクス・アウレリウスの円柱の周囲で群衆がぶらつきながら、天から降ってくる幸運を待っているかのようだ。ナヴォーナ広場は長く整然としているが、市場が開かれなくなって以来は閑散とし、かつての喧騒の名残をもの悲しく漂わせている。カンポ・デ・フィオーリ広場は毎朝、果物や野菜の市場で騒然となり、無数の大きな傘、山と積まれたトマト、唐辛子、ぶどうの間を、女商人や主婦たちがきゃあきゃあと叫び合いながら行き交っている。」

 彼にとって大きな驚きだったのはカピトリーノ広場であった。そこは町と世界を見下ろす頂上のような、開けた場所だろうと想像していたのに、実際には小さな四角形の空間で、三つの宮殿に囲まれ、ただ一方だけが少しばかり屋根並みの見える短い地平に開けているだけだったのだ。そこは通り抜ける人もなく、棕櫚の木に縁取られた緩やかな坂道を登らなければならず、観光客だけがわざわざ馬車で回り道をしてやって来る。馬車が並び、観光客は中央に置かれた古代の壮麗な青銅像、馬上のマルクス・アウレリウスを仰ぎながらしばらく立ち止まる。午後4時頃、左側の宮殿が夕日に照らされ、その屋上の細やかな像が青空を背景に際立つと、まるで地方の小さな町の広場のように温かく柔らかな空気が漂う。近所の女たちが柱廊の下で編み物をし、みすぼらしい子供たちが群れをなして遊び回る、まるで学校の中庭のようであった。

 別の晩には、ピエールはローマの噴水の数々への感嘆を語った。世界でもっとも豊かに、もっとも壮麗に水が大理石と青銅の中をほとばしる都市なのだ、と。スペイン広場の舟の噴水、バルベリーニ広場のトリトン像、亀の名を冠する小さな広場の噴水、そしてナヴォーナ広場の三つの噴水――とりわけ中央で栄光を誇るベルニーニの大作。そして何よりも、ネプトゥヌス神が高く構え、その両側に健康と豊穣の女神像がそびえる、豪奢を極めたトレヴィの大噴水!

 また別の晩には、古代ローマの街区、カピトリーノ周辺やテヴェレ川左岸を歩いて感じた不思議な印象の理由をやっと解き明かしたと語った。――それは歩道がないことだった。人々は車の間を気にせず中央を歩き、端に寄ろうとなど思わないのだ。そこにはピエールの愛した古い街並みがあった。入り組んだ細い路地、いびつな広場、四角く巨大な宮殿が、小さな家々の群れに埋もれて姿を隠す光景。

 さらにエスクィリーノの丘の一角には、石灰色の石を敷き詰めた階段がいたるところにあり、段ごとに白い縁取りがされ、急な坂道がねじれながら登り、段状に重なるテラスが続き、窓を閉ざした神学校や修道院は死人の住まいのよう。大きな石垣の向こうには空にまっすぐそびえる一本の見事な棕櫚が立ち、澄み切った青空に映えていた。

 さらにある晩、彼はもっと遠くまで足をのばした。モッレ橋の上流、テヴェレ川沿いのカンパーニャにまで出かけ、そこから帰ってきて大いに興奮して語った。彼はついに、それまであまり理解できなかった古典芸術の真髄に出会ったのだ、と。黄色くゆったり流れる川岸には葦が茂り、低く削られた白い石灰岩の断崖が、赤茶けた広大な波打つ平原を背景に際立っている。遠く青い丘陵に縁取られ、ところどころに木が点じられ、岸の上には虚空に開いた一つの廃墟の柱廊が立ち、斜めの列をなす白っぽい羊の群れが川へと下っていく。その傍らには羊飼いが常緑樫に肩をもたせかけ、じっと眺めている。

 それは、何もないところに広がる大らかで赤みを帯びた美。直線と平面にまで単純化された風景でありながら、大いなる記憶に高められた世界。そこには常にローマ軍団が石畳の道を行進し、荒涼たるカンパーニャを横切っていた。そしてまた、中世の長い眠りと、その後にカトリックの信仰のうちに蘇った古代自然――それこそが二度目にローマを世界の支配者たらしめたのだ。

映画「ローマの休日」のスペイン広場

4 件のコメント:

  1. いや~、今回はローマの広場の観光案内っぽい内容で、楽しかったよ!
    ちょっとローマの休日な気分😊
    ところで、ローマは広場が多いね!
    広場=民主主義、言論の場っていうのは、実際ローマではどうだったのかな?

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    1. いい視点ですね!😊
      ローマの「広場(piazza / forum)」は、実際に都市生活と政治文化の中心でした。

      古代ローマの場合

      * フォルム(Forum Romanum)
      広場といえばまず「フォルム」。元老院議事堂や政庁、神殿、市場が集まっていて、まさに政治・司法・宗教・商業の中枢でした。
      ここでは裁判が行われ、政治家が演説をし、庶民が集まって議論した。いわば「民主主義的言論空間」の萌芽ともいえます。
      ただし実際の決定権は元老院や貴族に偏っていたので、ギリシャのアゴラのような直接民主制とはちょっと違うのですが。

      中世からルネサンスのローマ

      * 中世以降は、フォルムの機能が衰退し、各地域ごとに市場広場や教会前の広場が生活の中心に。
      * ルネサンス期になると、権力者(教皇や大貴族)が都市計画として広場を整備し、権威を示す空間になりました。
      例:カンピドリオ広場(ミケランジェロ設計)、サン・ピエトロ広場(ベルニーニ設計)。
      これはむしろ「言論の場」より「秩序と威光を示す場」ですね。

      近代以降

      * 広場は引き続き人々の集会・祭り・抗議運動の場でもありました。
      * たとえば19世紀のイタリア統一運動(リソルジメント)でも、広場は市民が集まり、政治的意志を示す場になっています。

      🔑 まとめると:

      * 古代 → 言論・政治の中心(フォルム=共和制的精神)
      * 中世~近世 → 権力や宗教の象徴空間
      * 近代 → 再び「民衆が声を上げる場」へ

      つまり、ローマの広場は「権力」と「市民」の間で揺れ動く象徴的空間なんです。

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  2. 映画「ローマの休日」にはどんな広場が出てきたったけ?
    ヘプバーンがジェラート食べてなかったっけ?

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    1. おお!「ローマの休日」ですね😊
      あの映画はローマの広場を舞台にした名場面の宝庫なんです。主なロケ地を挙げると――
      スペイン広場(Piazza di Spagna)
       ヘプバーン演じるアン王女が階段に座ってジェラートを食べるシーン。
       (あの「スペイン階段(Scalinata di Trinità dei Monti)」は132段あって、ゾラが書いてた数とも一致してますね!)


      真実の口(Bocca della Verità)@サンタ・マリア・イン・コスメディン教会
       手を入れる名シーン。「嘘つきなら手が抜けない」というやつですね。


      コロッセオ、フォロ・ロマーノ周辺
       二人がスクーター(ヴェスパ)で駆け抜けるシーンに登場。


      ナヴォーナ広場(Piazza Navona)
       映画の中で夜景が使われる場所のひとつ。ベルニーニの「四大河の噴水」が有名。


      ヴェネツィア広場(Piazza Venezia)
       ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(通称「タイプライター」)の前。スクーターで暴走する場面の背景に。


      トレビの泉(Fontana di Trevi)
       映画の中で直接ジェラートを食べてるのはスペイン広場ですが、こちらもロケ地としては外せない観光スポット。


      つまり――
      🍦ジェラートはスペイン広場!

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ローマ 第96回

   けれども、ダリオは軽率にも早く起き上がりすぎてしまい、傷口を再び開いてしまった。そのためにまた数日間は床に伏せざるを得なくなった。ピエールはそれでも毎晩訪れては、散策の話で彼を慰め続けた。今では彼も勇気を出してローマの街を歩き回り、どの観光案内にも記されている古典的な名所を...