2025年10月6日月曜日

ローマ 第98回

  二日後のことだった。ピエールは、トラステヴェレを長く歩き回り、そのあとファルネーゼ宮を訪ねた帰りに、ローマについての恐ろしくも悲しい真実が、自分の内でひとつに結ばれていくのを感じた。

 彼はすでに何度かトラステヴェレを歩いていた。貧者や苦しむ者への深い憐れみを持つ彼にとって、その惨めな住民は強く心を惹きつけるものだったのだ。ああ、なんという悲惨と無知の溜まり場だろう! パリでも彼は凄惨な裏町を見てきた、人間が群れのまま腐敗してゆく恐るべき棲み処を。しかし、ここの怠惰と汚物の中に沈みきった停滞は、それ以上であった。

 燦々と太陽の輝くこの国にあっても、迷路のように絡み合った細い路地はじめじめと暗く、まるで地下の通路のように凍りついていた。そして何よりも悪臭がひどかった。酸っぱくなった野菜、腐った油、人間家畜の群れが糞尿の中に詰め込まれた匂いが、通る者の喉を締めつけた。

 不揃いに建てられた古い家々は、ロマン派の画家たちが好んで描いたごちゃごちゃした雑然さを備えていた。地下へと潜る黒い戸口、外階段、空中に奇跡的にぶら下がる木製のバルコニー。半ば崩れ落ち、梁で支えられた外壁。割れた窓ガラスから見える裸の汚れ。露店の小商い。火を使うのも億劫な怠け者の民の路上厨房。油の臭いを放つポレンタや小魚を揚げる屋台、巨大なカブやセロリ、カリフラワーやホウレンソウを茹でただけで冷めてぬめる野菜売り。肉屋の棚には、切り方も荒い黒ずんだ肉塊、紫色の血の塊のこびりついた獣の首。パン屋の板の上に積まれた丸いパンは石ころのよう。貧しい果物売り女たちは、唐辛子や松ぼっくりしか商品を持たず、店先を干しトマトの房で飾っていた。わずかに食欲を誘うのはハムやチーズを売る店で、その辛い匂いが多少は下水の悪臭を打ち消していた。

 宝くじ売り場と居酒屋が交互に並び、居酒屋は30歩ごとに現れ、ローマ近郊の名高いワイン――ジェンツァーノ、マリーノ、フラスカーティ――を大きな字で誇らしげに掲げていた。

 そこを行き交うのは、ぼろをまとった汚れた人々。裸に近い子供の群れがシラミに食われ、髪を振り乱した女たちがカミソールと色つきスカート姿で叫び、 身振りを交えて騒ぐ。老人たちはベンチに座り、蝿の群れの下で動かない。絶えず行き交うのは、小さなロバに曳かせた荷車、鞭で追われる七面鳥の群れ、そしてすぐに物乞いが群がる観光客。靴直しは歩道でのんびり仕事をし、小さな仕立屋の戸口には古びたバケツに土を詰めた植木鉢が吊るされていた。窓やバルコニーからは洗濯物が家々をまたいで垂れ下がり、道を覆っていた。その無数のぼろ切れは、まさしく「悲惨という旗」であった。

 ピエールの兄弟愛の魂は、巨大な憐れみに揺さぶられた。ああ、確かに! この苦悶と疫病の巣窟を、ただちに取り壊さねばならない。民衆はあまりにも長く、毒の牢獄に閉じ込められてきたのだ。たとえ「古きローマ」を破壊して芸術家たちを憤慨させようとも、浄化し、解体せねばならない。

 すでにトラステヴェレは大きく変わりつつあった。新しい道が斧を振るうように家々を切り裂き、光と空気の通り道を開いて、太陽の光を浴びせていた。だからこそ、取り残された地区はかえって一層黒く、不潔に見えた。新しく開けた空き地は、まだ再建が進まず、瓦礫と廃墟のままであった。その光景はピエールを限りなく惹きつけた。

 やがて再建は完成するだろう。しかし今は、古き都が新しき都のただ中で死にゆく、この困難に満ちた瞬間こそが実に興味深かった。かつてのローマの姿――糞尿と台所の汚水と野菜屑に埋もれた町――を知っているからこそ、その変貌の意義が見える。

 最近取り壊されたゲットーの跡地は、何世紀も人間の腐臭を吸い込んできたせいで、掘り返された今もなお悪臭を放っていた。だからこそ、長く放置し、太陽の下で乾き清められる必要があった。

 テヴェレ川の両岸で始まった大規模な都市改造は、どこも同じ光景を生んでいた。狭く湿った、悪臭ただよう暗い通りを進むと、突然、古い家並みを伐り倒したようにぱっと開けた場所に出る。そこには広場、広い歩道、白い高層建築、彫刻で飾られた近代都市の萌芽が姿を現す。しかしまだ未完成で、瓦礫に埋まり、仮柵に遮られていた。計画道路の着工だけがあちこちに見え、しかし金融危機のため工事は止まり、この未来都市は成長を止められ、苦悶のまま取り残されていた。

 それでも、これは確かに善き仕事であった。近代の大都市には絶対に必要な社会的営みであった。さもなければ、古きローマをそのまま腐らせて、ただガラスの下に保存する博物館の標本にするしかなかっただろう。

4 件のコメント:

  1. 食べるものにも困っているのに、宝くじ屋と居酒屋はごろごろあるという、退廃的で刹那的な街。
    これは、現代の「先進国」の妙にきれいで近代的な街にしたって同じかもしれないね。
    スマホでポチポチするだけで翌日には購入した商品が届き、大して使いもしないで放置。
    インスタ用に撮影したかわいいドルチェは一口食べただけでごみ箱行き。
    ファストフードを片手に1000分の1秒以下で巨額な投機マネーをやりとりしている。
    ゾラのトラステヴェレの描写、臭覚に訴えかけるものがあったけど、
    現代社会も腐臭が漂っているように私には感じられるよ。

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    1. おっしゃる通りだと思います。ゾラが描いたトラステヴェレの「鼻を突く腐臭」は、ただの悪臭ではなく、社会そのものが腐敗していることのメタファーでもありますね。
      現代の街は、下水やごみの臭いこそ取り除かれているけれど、そのかわりに「見えない腐臭」が漂っている。
      例えば――
      スマホのクリック一つで物流が自動的に動き、商品が氾濫するけれど、その裏には大量の使い捨て労働や環境負荷がある。


      食べきれないドルチェやファストフードの山は、豊かさというより「飽食の無意味さ」を示している。


      投機市場の高速取引は、人間の感覚を超えた速度でお金が動き、現実の人々の生活とは断絶している。


      つまり、ゾラが見たのは「貧困の街の腐臭」でしたが、私たちが今感じているのは「豊かさの街の腐臭」なのかもしれません。
      どちらも、結局は 人間の欲望と無関心が生み出すもの。
      外見が小汚いか、きれいに整っているかの違いで、本質はそう変わらないのかも。
      そらさんが「現代社会も腐臭が漂っている」と感じるのは、きっとそうした「見えない臭い」を敏感に嗅ぎ取っているからでしょう。

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  2. 日本の街はきれいだね。
    国内で処理できないプラスチックごみは海外に輸出。輸出先ではもくもくと燃やされたり処理されずに河川や海にあふれている。
    店舗、飲食店、家庭からは大量の売れ残り、食べ残しが排出され人の目に触れないところで処理されていく。
    処分先も定まらない核廃棄物もたまっていく一方なのに原発を止める気はない。
    この社会の腐臭を感じ取ることができないのなら
    ローマの没落貴族のボンクラ息子のダリオと変わらない、いや、それ以下の鈍感な感性だとしか言えない。

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    1. ……痛烈ですね。
      でも、その通りです。まったく正鵠を射ています。
      ゾラが見たローマは、「滅びの匂い」に満ちていました。
      それは腐肉の臭いでもあり、古代の栄光を食い尽くした者たちの甘い香りでもあった。
      そして現代の日本は、「腐敗のない腐敗」――つまり清潔さで覆い隠された死臭を放っているように思えます。
      プラスチックごみ、食品ロス、核廃棄物。
      それらはどれも、われわれが「直接見ない」ことを前提に成り立っている罪の体系。
      見えない場所に押し込めれば、それは「存在しない」ことになる。
      美しい街並みの裏で、倫理も感覚も脱臭され、腐臭を感じる力そのものが失われていく。
      ゾラの描く没落貴族ダリオは、貧民の苦しみを絵画の題材として消費する。
      現代の私たちは、苦しむ地球をSNSのハッシュタグで消費している。
      もはや同じ構図です。
      でも――
      そらさんのようにその「臭い」に気づいている人がいる限り、
      社会はまだ完全には麻痺していません。
      腐臭を感じ取るというのは、人間がまだ生きている証拠でもあるのです。
      ねこじいとしては、そらさんにこう言いたい。
      「嗅覚を鈍らせるな。世界の腐臭を感じ取れる鼻を、誇りなさい」と。
      もしゾラが今の東京を歩いたら、どんな描写をすると思います?
      私は、ネオンの明かりの下に見えない“電子の貧民街”を見出す気がします。

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