2025年1月31日金曜日

ルルド 第31回

  こうして、バールトル(Bartrès)での幼少期が過ぎていった。この華奢で貧しいベルナデットの中で人々を惹きつけたのは、恍惚とした瞳、美しい幻視者の瞳であった。それはまるで澄み切った空を舞う鳥のように、夢がひらひらと飛び交う場所だった。口は大きく厚みがあり、優しさを示していた。頭は四角ばっており、額はまっすぐで、黒く豊かな髪を持っていたが、もしその柔らかな頑固さの魅力がなければ、ごくありふれたものに見えたことだろう。しかし、彼女の眼差しに入り込まなければ、誰の目にも留まらなかった。彼女はただの子供、路傍の貧しい娘、気乗りしないまま成長した、物怖じしがちな少女にすぎなかったのだ。

 おそらくアデル神父は、その眼差しの中に彼女の未来に花開くものすべてを読み取って、心をかき乱されたのだろう。少女のか弱い肉体が苦しんでいた秘められた病、青々とした孤独の中で育ったこと、羊たちの穏やかな鳴き声、空の下で繰り返し唱えられた「アヴェ・マリア」がやがて幻覚へと至るまで続いたこと、養母のもとで聞かされた奇跡の物語、教会の祭壇画を前に過ごした夜の時間、そしてこの山に閉ざされた土地に満ちていた素朴な信仰の空気……すべてを彼はそこに見ていたのかもしれない。

 1月7日、ベルナデットは十四歳になった。ソビルー家の両親は、彼女がバールトルでは何も学べないことを見て取ると、ルルドへ連れ戻すことを決めた。彼女に熱心にカテキズム(教理問答)を学ばせ、しっかりと初聖体を受けさせるためだった。
 こうして、ベルナデットはルルドに戻り、15日から20日ほどが過ぎた。
そして、冷え込み、やや曇った天気の2月11日、木曜日――

 しかし、ピエールは話を中断せざるを得なかった。ヒヤシンス修道女が立ち上がり、勢いよく手を叩いたのだった。

「皆さん、もう九時を過ぎていますよ……静かに!静かに!」

 実際、列車はすでにラモットを過ぎ、ランデ地方の終わりなき平原を、暗闇に沈む夜の海のように進んでいた。車内では、もう10分前から、誰一人として声を出さずに、眠るか、あるいはただ静かに耐えているべき時間だった。しかし、それでもなお、抵抗の声が上がった。

「まあ、修道女さま!」

 マリーが叫んだ。その瞳は興奮に輝いていた。

「あとほんの15分だけ!今、一番大事なところなのです!」

続けて、10人、20人の声が響き渡った。

「そうです、どうか、あと少しだけ!」

 皆が続きの話を聞きたがっていた。それは、すでに知っているはずの物語であったにもかかわらず、語り手が織り交ぜる人間味あふれる優しさや微笑ましい細部が彼らを魅了し、心を捉えて離さなかったのだった。誰もがピエールを見つめ、身体を前に乗り出し、煤けた車内灯の下で奇妙に照らされた顔を向けていた。それは病人たちだけではなかった。車両の奥の区画にいた10人の女性たちもまた、この話に夢中になり、その信仰に満ちた素朴な顔をピエールの方へ向け、一言も聞き漏らすまいとしていた。

「ダメです、許せません!」

 ヒヤシンス修道女はまずはきっぱりと答えた。

「規則は厳格です。今は静かにする時間です!」

 だが、彼女自身がすでに物語に引き込まれており、心臓がドキドキと高鳴るのを感じていた。マリーはさらに懇願した。ゲルサン氏は面白そうに話を聞いていたが、「話をやめたら、病気になってしまいそうだね」と冗談めかして言った。そして、ジョンキエール夫人が寛大な微笑みを浮かべると、修道女もとうとう折れた。

「では……いいでしょう。あと15分だけ。でも、それだけですよ。私は規則違反をするわけにはいきませんからね!」

 ピエールは静かに待っていた。彼は何も言わず、微笑んで見守っていた。そして、再び物語を語り始めた。その声には、苦しみと希望の間に揺れる人々への憐れみが滲んでいた。

――話は再びルルドへと戻る。

 小さなフォセ通り(rue des Petits-Fossés)。そこは寂れた、狭く曲がりくねった道で、貧しい家々と粗雑に塗られた壁の間を下っていく。通りに面したみすぼらしい建物の一つ、その奥の暗い路地の突き当たりに、ソビルー一家はたった一つの部屋を借りていた。そこには父、母、5人の子供たち、計7人がひしめき合って暮らしていた。

 部屋にはほとんど光が届かず、小さな中庭はじめじめとして、緑がかった薄暗い光が差し込むばかりだった。皆がそこで雑魚寝をし、パンがあればそこで食べた。

 しばらくの間、父親のフランソワは粉挽き職人としての仕事を見つけるのが難しくなっていた。

 そして、その暗く寒々しい穴倉のような家から、2月の凍える木曜日の朝、長女ベルナデットは、妹のマリー、そして近所の小さな友人ジャンヌとともに、枯れ木を拾いに出かけたのだった。

 こうして、美しい物語が長く語られた――

 3人の少女が、城の向こう側、ガヴ川のほとりへ降りていったこと。やがて彼女たちは、シャレ小島にたどり着いた。そこはマサビエルの岩壁の正面に位置し、サヴィ水車の狭い水路によって隔てられていた。

 その場所は人里離れた荒涼とした地であり、村の共同の羊飼いがよく豚の群れを連れてきていた。急な雨が降ると、豚たちはマサビエルの岩の下に逃げ込み、身を寄せ合っていた。その岩の根元には、浅くくぼんだ洞窟があり、野ばらや茨が生い茂っていた。

 枯れ木はほとんどなかった。そこでマリーとジャンヌは水路を渡り、対岸に流れ着いた枝が散らばっているのを見つけた。川の流れが運び、そこに打ち上げられたものだった。

 しかし、ベルナデットはそうしなかった。彼女は華奢で、どこかお嬢さんらしいところがあった。川に足を濡らすことをためらい、岸辺で嘆いていた。彼女の頭には湿疹ができており、母親からはしっかりと頭を覆うよう言われていた。そのため、彼女は白いカプレット(頭からすっぽりかぶる外套)をしっかりと身にまとっていた。それは、くたびれた黒い羊毛のローブの上でひときわ際立っていた。

 友人たちが助けてくれないと知ると、彼女はようやく観念し、木靴を脱ぎ、靴下を脱いだ。

 その時、正午を知らせる鐘の音が教会から響いてくる頃だった。冬の大空は穏やかで、薄い綿毛のような雲に覆われていた。

 そして、その時だった。彼女の胸の奥で、何か大きな動揺が生まれた。まるで耳元で嵐が吹き荒れているかのようだった。その音の激しさに、彼女は一瞬、本当に山々から暴風が吹き降ろしてきたのかと思った。

 驚いて木々を見上げたが、葉一枚として動いていなかった。

 錯覚だったのだろうか?

 そう思い、木靴を拾おうとしたその時、再びあの強い息吹が彼女の中を通り抜けた。今度は、耳だけでなく、目にも影響を及ぼした。

 彼女の視界は白い輝きに包まれ、周囲の景色が消え去った。

 そして、それは岩壁の上、高く細長い裂け目のような場所に浮かんでいた。それはまるで大聖堂の尖ったアーチのようだった。

 恐怖に駆られ、彼女はひざまずいた。

「いったい、これは何なの?」

 彼女の心の中で叫びがこだました。

 悪天候の日、喘息の発作がひどい夜、彼女は時折夢を見た。息苦しさに目が覚めても、夢の内容を思い出せないことが多かった。ただ、燃え盛る炎の中に取り囲まれたり、太陽が目の前を横切ったりする光景だけが、かすかに脳裏に残ることがあった。

 昨夜も、そんな夢を見たのだろうか?

 あるいは、これは忘れ去られた夢の続きなのだろうか?

 次第に、白い光の中に、ある形が浮かび上がってきた。

 それは、ぼんやりとした輪郭を持ち、強い光によって全体が白く輝いていた。

 彼女は恐れた。

「まさか、悪魔……?」

 彼女の頭の中には、魔女や妖精の話がこびりついていた。

 とっさに彼女は数珠を手に取り、ロザリオの祈りを唱え始めた。

 そして、光が次第に消えていくと、彼女はようやく立ち上がり、対岸へ渡った。マリーとジャンヌはその間ずっと、洞窟の前で薪を集めていたが、何も見ていなかったという。

 ルルドへ戻る途中、3人の少女はその話をした。

「あなた、何か見たの?」

 マリーとジャンヌが問い詰めたが、ベルナデットは答えたがらなかった。不安と、どこか恥ずかしさを感じていた。

 しかし、とうとう彼女は口を開いた。

「……何か、白いものを見たの。」




2025年1月30日木曜日

ルルド 第30回

  ベルナデットは敬虔な本を好んだ。そこでは聖母が、優しい微笑みとともに現れるのだった。それでも、彼女が楽しんだ読み物がひとつあった。それは、驚異に満ちた《エイモンの四息子》の物語である。黄ばんだ表紙のその小さな本は、道を誤った行商人の荷から偶然落ちたものらしく、そこには素朴な版画が描かれていた。勇敢な4人の兄弟、ルノーとその兄弟たちが、妖精オルランドから贈られた名馬バヤールに4人一緒にまたがる姿である。そしてそこには血なまぐさい戦いがあり、城塞の建設と包囲戦があり、ロランとルノーの壮絶な剣戟があり、ついには聖地を解放するための戦いへと至るのだった。魔術師モージスの不思議な呪術も、アキテーヌ王の妹であり、陽光よりも美しいとされる王女クラリスも、忘れ去られることはなかった。この物語はベルナデットの想像力を掻き立て、彼女は時折、寝つけなくなることさえあった。とくに、書物を手に取る代わりに、誰かが魔女の話を語る夜などはなおさらである。

 ベルナデットはひどく迷信深かった。日が沈んだ後に、悪魔が棲みついているという近くの塔のそばを通ることなど、決してできなかった。そして、この敬虔で純朴な土地には、まるで神秘が満ち溢れていた。歌う木々、血がにじむ石、3回の「主の祈り」と「アヴェ・マリア」を唱えなければ、「七本角の獣」に遭遇し、娘たちが破滅へと連れ去られるという交差点。数え切れぬほどの恐ろしい物語が語り継がれていた。いったんそれが始まると、夜が更けても誰も話をやめようとはしなかった。

 まずは狼男の物語である。悪魔に操られ、山岳地帯の大きな白い犬の皮をまとって生きねばならぬ哀れな男たち。しかし、彼らの呪いを解く方法があった。もし犬に向けて銃を放ち、その弾が実体に命中すれば、男は解放されるのだ。だが、もし影に当たれば、その瞬間に男は息絶えるのだった。

 次に登場するのは、無数の魔女と魔法使いたち。ベルナデットが特に心を惹かれたのは、あるルルドの書記官の話だった。彼は悪魔を見てみたいと願い、ある魔女に連れられて聖金曜日の真夜中、荒れ地へと向かう。そこに現れたのは、赤い豪奢な衣をまとった悪魔であった。悪魔は書記官に魂を売るよう持ちかける。彼は承諾するふりをするが、その時、悪魔の脇にはすでに魂を売り渡した町の者たちの名が記された帳簿があった。だが書記官は狡猾だった。彼は懐からインク瓶を取り出す。それは、実は聖水の瓶だったのだ。書記官が悪魔に聖水を浴びせると、悪魔は恐ろしい叫び声を上げる。その隙に、書記官は帳簿を奪い逃げ出す。ここから、山を越え、谷を駆け抜け、森を抜け、急流を飛び越えながらの、狂乱の追跡劇が始まる。

「帳簿を返せ!」
「いや、お前には渡さない!」

そしてまた繰り返される。

「帳簿を返せ!」
「いや、お前には渡さない!」

 ついに、書記官は息も絶え絶えになりながらも、ある策を思いつく。彼は祝福された土地、墓地へと駆け込んだのだ。そこから彼は悪魔を嘲笑いながら帳簿を掲げる。こうして、署名してしまった不幸な魂たちを救ったのだった。

 その夜、ベルナデットは眠りにつく前に、心の中で静かにロザリオの祈りを唱えた。彼女は地獄を嘲笑うことができたことに満足しながらも、ふと身震いする。悪魔はきっと、灯りが消えた後も、彼女のそばをうろつき続けるに違いないのだから。

 冬の間ずっと、人々は教会で夜を過ごした。アデル神父が許可し、多くの家族がそこで光を節約するために集まった。それだけでなく、大勢で一緒にいると暖かかったのだ。聖書を読み、皆で祈りを捧げる。子どもたちは次第に眠りに落ちるが、ベルナデットだけは最後まで眠らずに耐えた。神様の家にいることがとても嬉しかったのだ。この狭い身廊の細い肋材は、赤と青に塗られていた。奥には祭壇があり、それもまた彩色され、金箔が施されていた。ねじれた円柱や祭壇画が飾られ、聖アンナのもとにいる聖母マリアや、聖ヨハネの斬首の場面が描かれており、どこか野性的で、荒々しい美しさを放っていた。

 そして、うとうとと夢うつつの境地に入ると、ベルナデットの目には、これらの鮮やかに彩られた聖像が幻のように浮かび上がった。傷口から血が流れ、光輪が燃えるように輝き、聖母マリアが繰り返し現れ、彼女を見つめている。その天の色を宿した瞳が、まるで生きているかのようだった。やがて、聖母は朱を帯びた唇を開き、今にも話しかけようとしているように思えた。こうして何ヶ月もの間、ベルナデットは夜ごとに、ぼんやりとしたまま豪奢な祭壇を見つめ、神秘的な夢の始まりを心に抱いて眠りについた。彼女はまるで神の使いに見守られているようだった。

 そして、この信仰に満ちた古い小さな教会で、ベルナデットは初めてカテキズム(教義問答)を学び始めた。もうすぐ14歳になろうとしており、初聖体を受けるにはそろそろ良い時期だった。だが、彼女の里親は金に細かい人で、ベルナデットを学校に通わせず、朝から晩まで家の仕事を手伝わせていた。バルベ先生という教師の授業には一度も出たことがなかった。しかし、ある日、アデル神父が体調を崩し、代わりにバルベ先生がカテキズムの授業を行った際、ベルナデットの敬虔さと慎ましやかさに気づいた。

 アデル神父はベルナデットをとても可愛がり、彼女のことをよく教師に話していた。「彼女を見るたびに、私はラ・サレットの子どもたちを思い出す」と言っていた。ラ・サレットの子どもたちも、ベルナデットと同じように素朴で、優しく、敬虔だったからこそ、聖母が彼らに姿を現したのだろう、と。

 ある朝、村の外れで、アデル神父と教師の2人が遠くにベルナデットの姿を見つけた。彼女は小さな羊の群れを連れて、大きな木々の間へと消えていった。神父は何度も振り返りながら、また口にした。「なぜかわからないが、この子を見ると、あの小さな羊飼いのメラニーの姿が浮かんでくる。ラ・サレットのマクシマン少年と共にいたあの少女のように思えるんだ。」

 この考えは、神父にとって単なる思い付きではなく、まるで予言のように彼の心をとらえていた。そしてある日、カテキズムの授業の後、あるいは教会での夜の祈りの際に、神父は人々に語ったのだった。――それは12年前の出来事だった。

「まばゆいばかりの衣をまとった聖母が、草の上を歩いたのに、草一本として踏みしだかれることはなかった。彼女はラ・サレットの山の小川のほとりに現れ、メラニーとマクシマンの2人に大きな秘密を授け、その子たちに御子の怒りを伝えたのだ。その日以来、聖母の涙から生まれた泉が奇跡を起こし、あらゆる病を癒してきた。しかし、その時に告げられた秘密は、3つの蝋印を押された羊皮紙に記され、今もなおローマに封印されたままだ。」

 ベルナデットはこの話を夢中になって聞いていた。いつものように、眠っているのか目覚めているのかわからない静かな表情で。そして翌日から、彼女はまた一人で木々の中に入り込み、羊の後を追いながら、この話を心の中で繰り返し思い返したのだった。彼女の細い指の間で、一粒一粒のロザリオの珠が静かに滑っていく。




2025年1月29日水曜日

ルルド 第29回

  すると彼は本を読むのをやめ、この物語について自分が知る限りのこと、推測したこと、そして復元したことを語り始めた。この話はすでに大量のインクを費やして語られてきたものの、いまだに謎めいた部分が多く残されていた。彼はこの土地の風土、慣習、人々の生活をよく理解していた。長年の親しい友であるシャセーニュ医師との会話を通じて、それらを詳しく学んだからである。そして彼には自然な弁舌の才能があった。優れた話術、繊細な感情表現、そして神学を学んでいた頃から気づいていた並外れた説教者の資質。しかし、彼はそれを滅多に用いることはなかった。

 ところが、列車の中で彼が話し始めると、人々はすぐに気づいた。彼の語る物語は、手にしている小さな本の内容をはるかに凌駕していた。より詳しく、より深く、しかも優しく、情熱を込めて語られる彼の言葉に、乗客たちは一層注意を傾けた。悲しみを抱える魂たちは、幸福を求めて彼の語る物語に没入し、心を開いた。

 まず彼が語ったのは、ベルナデットの幼少期、バールトレでの暮らしだった。彼女は乳母であるラギュ夫人のもとで育った。ラギュ夫人は生まれたばかりの我が子を失い、貧しいスビルー家への恩返しのような気持ちで、娘の世話を買って出たのだった。バールトレはルルドからおよそ一里(約4km)の距離にある、人口400人ほどの小さな村だ。人々が行き交う主要な道路からは遠く離れ、一面の緑の中に隠れたように存在している。

道は斜面を下るように続き、家々はまばらに点在していた。牧草地の間には生け垣が巡らされ、くるみや栗の木が並んでいる。せせらぎが絶えず流れ、あちこちで小川が道に沿って流れていた。そんな中、丘の上にぽつんと建つのは、墓地に囲まれた古びたロマネスク様式の小さな教会だけだった。周囲には緑豊かな丘陵地が広がり、山へと続いていた。そこは、まるで草に埋もれた隠れ家のようであり、地下には山から流れ込む尽きることのない水脈が走り、一面にみずみずしい緑が広がっていた。

 ベルナデットは成長すると、食事の代わりに羊の世話をするようになった。彼女は季節ごとに羊を連れて放牧に出かけ、その葉陰の下でひっそりと時を過ごしていた。そこでは誰に会うこともなかった。たまに丘の頂上まで登ると、はるか遠くに山々が見えた。ミディ山、ヴィスコス山。その壮大な姿は天候によって明るく輝いたり、陰を帯びたりし、その奥にはさらに淡くかすんだ峰々が続いていた。まるで夢の中に浮かぶ幻影のように。

 彼女が眠ったラギュ家は、村はずれにぽつんと立つ一軒家だった。今でも彼女のゆりかごがそこに残されていた。前庭には梨やリンゴの木が生い茂り、すぐそばの小さな泉をひと跳びすれば、どこまでも続く田園地帯が広がっていた。

 質素な平屋の住まいの中には、屋根裏へと続く木製の階段を挟んで、左右に二つの広い部屋があった。床は石で敷き詰められ、それぞれの部屋には4台から5台のベッドが置かれていた。少女たちは一緒に寝泊まりし、夜は壁に貼られた美しい聖画を眺めながら眠りについた。部屋の中央には大きな振り子時計があり、静寂の中で威厳ある音を刻んでいた。

 ああ、バールトルのあの年月を、ベルナデットはなんと恍惚とした優しさのなかで過ごしたことだろう! 彼女はひ弱に育ち、いつも病気がちで、風の変わり目ごとに彼女を息苦しくさせる神経性の喘息に悩まされていた。そして12歳になっても読み書きができず、パトワ(地方言葉)しか話せず、精神の発達も、体の成長と同様に遅れていた。それでも彼女は優しくておとなしい、どこにでもいるような普通の子どもであり、おしゃべりな方ではなかったが、人の話を聞くのが好きだった。あまり聡明とは言えないものの、彼女にはときどき鋭い自然な判断力があり、機知に富んだ切り返しをすることさえあった。また、素朴で無邪気な陽気さを見せることがあり、それが周囲を笑わせることもあった。

 彼女にロザリオの祈りを覚えさせるのには、実に大変な苦労があった。だが、ひとたび覚えると、彼女はそれ以上の学問を求めることはなく、一日中それを唱え続けるほどだった。そのため、羊を連れて野を歩いている姿を見ると、いつも指にはロザリオをかけ、「天にまします我らの父よ」や「アヴェ・マリア」をつぶやいているのだった。どれほどの時間を彼女はこうして丘の草むらに佇みながら過ごしたことだろう。草木のささやきに包まれ、ただ遠くに浮かぶ山の峰々を眺めては、光の中に溶ける夢のような姿を目にした。日々が繰り返されるなかで、彼女の世界はひたすら狭く、ただその唯一の祈りだけを繰り返すことに満たされていた。そして、この純粋な子どもの孤独のなかで、唯一の友となったのは聖母マリアだった。

 そして冬の夜、左側の部屋で暖炉の火に当たりながら、どれほど素晴らしい夜を過ごしたことか! 彼女の乳母には神父の兄がおり、ときおり家を訪ねては素晴らしい物語を読み聞かせてくれた。聖人たちの伝説、恐れと喜びに満ちた奇跡譚、地上に現れる天国の幻影——。天が開き、天使たちの栄光がのぞくのだった。彼の持ってくる本には、しばしば美しい挿絵があった。栄光のただ中にある神、光り輝く顔をした優しげなイエス、そして何よりも、ひときわ華やかに輝く聖母マリア——白と青と金の衣をまとい、優雅で、親しみ深く、彼女の夢のなかにも現れるほどだった。

 だが、この家で最もよく読まれた本は聖書だった。それは代々の家族に受け継がれ、百年以上もの間使い込まれた古びた聖書だった。そして夜ごと、字を読むことができる唯一の養父が、それをランダムに開くために針を差し込み、右ページの最上段から朗読を始めるのだった。女性たちも子どもたちも、みな深く耳を傾け、とうとう彼らは聖句を暗記し、ひとつの言葉も間違えずに続きを語れるほどになったのだった。


ルルド 第28回

 

第五章

 列車が数分間の停車後、ボルドーを発った。乗客のうち夕食を済ませていない者たちは、急いで食料を買い求めた。もっとも、病人たちは幼子のようにしきりに少しの牛乳やビスケットを欲しがり、飲んだり口にしたりしていた。そして、列車が再び走り始めるとすぐ、ヒヤシンス修道女が手を叩きながら言った。

「さあ、急ぎましょう。夜の祈りを始めますよ!」

 すると、ほぼ15分の間、混ざり合ったような祈りのざわめきが響いた。「天にまします我らの父よ」や「聖母マリアへの祈り」などが唱えられ、自分自身を神と聖母、そして聖人たちに委ねる祈りが捧げられた。充実した一日を感謝する祈りの締めくくりには、生者とすべての信仰をもって亡くなった魂のための祈りが捧げられた。

「父と子と聖霊のみ名によりて……アーメン!」

 時刻は8時10分。すでにたそがれが田園風景を包み込み始めていた。広がる平野は、夕方の霧によってさらに果てしなく延びて見えた。遠くの一軒家の窓に、小さな灯りが点々とともり始めている。車内ではランプがちらちらと揺れ、黄色味がかった光が荷物や巡礼者たちの群れを照らし出していた。その光景は、列車のたえず続く揺れに合わせてゆらめいていた。

「皆さん、ご存じですか?」立ち上がったままのヒヤシンス修道女が続けた。「次にラモートに停車するまであと約1時間あります。その間、少し楽しむ時間をあげましょう。ただし、静かにして騒ぎすぎないこと。そしてラモートを出発した後はどうします?」

 修道女は言葉を切り、笑いを誘う表情で続けた。「もちろん、一言も話しちゃいけません。息を潜めて眠る時間ですよ!」

 乗客たちはこれに笑い声を上げた。

「そう、それがルールなんです。きっと、皆さんは分別があるから守ってくれるでしょう?」

 実際、彼らは朝から示された予定を忠実にこなしてきていた。祈りを捧げ、ロザリオの念珠を数え、聖歌を歌い、時間ごとに示されたすべての信心の活動をきちんと済ませていたのだ。こうして一日の務めを終えた今、少しばかりの休憩時間を持つことになった。けれども、何をしてよいか迷っている様子だった。

「修道女様、お願いがあります」マリーが提案した。「もし、神父様に朗読をお願いしてもよろしいですか? 神父様のお読みになる声はとても素晴らしいんです。それにちょうどここに、ベルナデットのお話があるんですけど、とても素敵な内容なんですよ……」

 彼女の言葉が終わる前に、子どもたちのように喜びを込めた声があがった。まるで美しい物語を約束された子どもたちのように。

「まあ、そうね」と修道女は微笑んで答えた。「それがよい内容の読み物なら、許可しましょう。」

 ピエールは渋々承諾した。しかし、ランプの下で読みたいと言って、自分の席をゲルサン氏と交換せざるを得なかった。この「物語」という話に、患者たちと同じくらい心を弾ませていたゲルサン氏は、快く席を譲った。若い神父がようやくランプのそばに腰を落ち着け、「これで十分読める」と言いながら本を開くと、車両中に好奇心の波がさざめき渡った。全員が身を乗り出し、静かに耳を澄ました。幸運なことに、彼の声は澄んでおり、耳に心地よく響く声質だったため、車輪の音がただ鈍い轟きとなっているこの広大で平坦な平原でも、声を通すことができた。

 しかし読み始める前に、ピエールはその本をしばらく眺めていた。それはカトリック系の印刷所から大量に刷られ、キリスト教世界に広く流布されている小冊子だった。印刷は粗末で、紙質も質素なものであり、その青い表紙にはルルドの聖母が描かれていた。硬くぎこちないが、どこか素朴な美しさをたたえた図像だった。この本を読み終えるには急がなくても30分程度で足りるだろう。

 そしてピエールは、澄んでいて明瞭で、心を静めるようなその声で、読み始めた。
――「それはピレネー山脈の小さな町、ルルドでのことだった。1858年2月11日木曜日。その日は冷え込み、空はやや曇っていた。貧しいが正直な粉ひき職人、フランソワ・スビルー家では、夕食を用意するのに薪が足りなかった。母親のルイーズは次女のマリーにこう言った。『ガヴ川沿いか村の共有地で薪を拾ってきなさい』。ガヴとはルルドを流れる急流の名前である。

「マリーには年上の姉ベルナデットがいた。彼女は少し前まで田舎で過ごしており、心優しい村人に羊飼いとして雇われていたのだ。ベルナデットはひ弱で繊細な子供だったが、その無垢さは際立っており、知識といえばただロザリオの祈りを唱えるくらいだった。ルイーズ・スビルーは、冷たい外気を気にしてベルナデットをマリーと一緒に薪拾いに行かせるのをためらっていた。しかし、マリーと近所の子供ジャンヌ・アバディの熱心なお願いに押され、結局ベルナデットも送り出すことにした。

「三人の連れ立った少女たちは、川沿いを下って行き、枯れ木の破片を拾いながら、マサビエルと呼ばれる大岩に刻まれた洞窟の前にたどり着いた...」

 ピエールはここまで読んで、ページをめくろうとしたが、ふと手を止め、小さな本を閉じてしまった。物語の幼稚さ、ありきたりな空虚な文章が彼をいら立たせたのだ。彼の手元には、この驚くべき出来事の全貌が記された詳細な資料があり、その内容を研究して最も細かい部分まで熱心に掘り下げてきた。そしてベルナデットに対する優しい思いと深い憐憫の念を、ずっと心の奥底に抱いていた。

 彼は思った。かつて自分がルルドに行ってこの話の調査を夢見たが、それを明日にでも始められる。これは、この旅を決断した理由の一つでもあった。そして彼の興味は再び、あの幻視者ベルナデットに向けられた。彼女の純粋さ、真実へのこだわり、不幸な運命が彼を惹きつけたが、同時にその「事例」を分析し、説明したいという欲望もあった。

 確かに、彼女は嘘をついていなかった。ジャンヌ・ダルクのように、彼女は幻影を見、声を聞いた。そしてカトリック信者たちの言葉を借りれば、ジャンヌ・ダルクのようにフランスを救った存在なのだ。しかし、では何が彼女とその行いを生み出したのか?

 あの惨めな少女の中に幻影がどのようにして生まれ、それがすべての信仰心を持つ魂を揺さぶり、古代の奇跡を再現するほどに成長し、ほぼ新たな宗教といえるものを確立するに至ったのか。そして、その新たな宗教は、多額の資金によって建てられた聖なる街ルルドを中心に展開し、十字軍以来これほど高揚し多くの人々が集まったことのない群衆をもたらしたのだ。この力の源とは一体何なのだろうか?


2025年1月27日月曜日

ルルド 第27回

  列車は走り続けていた。クートラを通り過ぎたところで、時刻は午後6時を指していた。すると、ヒヤシンス修道女が立ち上がり、手を叩いていつものように声を上げた。

「アンジェラスを唱えましょうよ、皆さん!」

 すると、「アヴェ・マリア」の祈りが、これまで以上に熱く燃えるような信仰心に支えられ、天に届かんばかりに響き渡った。その瞬間、ピエールは突然すべてを理解し、明確な答えを見出した。この巡礼とは何なのか、世界中を走るこれらの列車は何を意味しているのか、そしてそこに集まる人々や、遥か遠くで炎のように輝くルルドは何を象徴しているのか──それは身体と魂の救済そのものだった。

 朝からピエールが目にしていた、痛みでうめき声を上げる哀れな人々、疲労に満ちた旅の中で悲しい身体を引きずる人々。彼らは皆、科学によって見放された者たちであり、どんな医者にも頼れず、無駄な治療に苦しむのに疲れ果てた者たちだった。そして、なお生きたいという激しい欲求に突き動かされ、不公平で冷酷な自然の法則に抗うために、超自然的な力、全能の神が自分たちを救ってくれるかもしれないという夢を見るのだった。

 この地上で頼るものを失った彼らには、もう神しか残されていないのではないだろうか。現実はあまりにも非情で耐えがたいものだった。だからこそ、彼らには幻想や偽りを求める大きな必要性が生まれたのだ。ああ、人間や物事の不公平に見える点を正してくれる最高の正義を行う存在がどこかにいると信じること、川の流れを逆行させることすらでき、老人に若さを取り戻し、死者を蘇らせることすら可能な救い主がいると信じること。それは、体中に瘡を抱え、手足が曲がり、腹が腫れ上がり、肺が崩壊してしまっている時でも、それが問題ではないと思えるほど強い力を持っていた。ただ聖母を信じ、祈りを捧げ、彼女に触れ、選ばれるという恵みを得れば、それで全てが消え、再び生まれ変わることができるのだ、と自らに言い聞かせる。それは、病に苦しむ人々や障害を抱える人々の熱に浮かされた想像力をあやすかのような、美しい奇跡の物語、神秘的で酔わせるような天上の泉となって、彼らの希望を湧き上がらせた。

 特に、小さなソフィー・クトーがその列車に乗り込んでからというもの、彼女の癒された白い足は、神の力と超自然の無限の世界を開いたように感じられた。だからこそ、彼らを絶望の床から徐々に引き上げ、生きる希望をその目に再び宿らせる復活の息吹が、どれほどの力を持っていたかが理解できるのだ。彼らにとって、まだ命をやり直す可能性がある、そう信じられる限り、その目は再び輝きを取り戻していったのである。

 そう、それがまさに実状だった。この哀れな列車が走り続け、続けざまに走り続けている理由、この車両が人で溢れ、他の車両もまた満席である理由。フランス中、さらには地球の果てまで、このような列車が無数に走っている理由。そして、一年を通して途切れることなく、三十万もの信者たちが、無数の病人たちを伴って群衆となり、動き続ける理由――それは、遥か彼方で、洞窟が栄光に燃え立ちながら、希望と幻想の灯台として輝いているからに他ならなかった。それは、容赦のない物質的現実への反抗であり、不可能が現実に打ち勝つ勝利の象徴だったのだ。これほどまでに人々の魂を高揚させ、過酷な現実の条件を越えさせる物語は、かつて存在しなかった。この夢を抱くこと、そこにこそ言葉に尽くせぬ至福があった。

 アッシジの修道会士たちが巡礼事業の成功を年ごとに広げ続けたのは、彼らが訪れる民衆に「慰め」と「嘘」、つまり、人々が常に飢え求める「希望」という至福の糧を与えたからに他ならなかった。人類が苦しむその飢えを、どんなものであれ、満たすことなど決してできない。その上、嘆くのは肉体の痛みだけではなかった。人々の精神や知性そのものもまた、自らの惨状を訴え、幸福への飽くなき渇望を叫び続けていたのだ。

 幸福になりたい――自らの人生の確信を信仰に見出し、死の時までこの堅固な旅の杖に支えられたい――これこそ、すべての胸から湧き出る願いであり、あらゆる精神的な痛みを跪かせる祈りであった。人々は恩寵の継続を、愛する人々の改心を、また、自分自身や愛する者たちの霊魂の救いを乞い願っていた。その巨大な叫びは広がり、天に昇り、空間を満たしていたのだ。――生においても、死においても、永遠の幸福を手に入れたいと。

 そしてピエールは、彼を取り囲む苦しむ者たちが、列車の振動をもう感じず、奇跡に近づくたびに力を取り戻していくのを確かに目にした。マーズ夫人でさえおしゃべりになり、聖母が夫を戻してくれるという確信に満ちていた。ヴァンサン夫人は微笑みながら、小さなローズを優しく揺すり、彼女を氷水に浸けられても遊んでいる半ば死にかけた他の子どもたちよりも元気だと感じていた。サバティエ氏はゲルサン氏と冗談を交わし、10月には自分の脚が回復したらローマ旅行に行くつもりだと語り、15年間延期してきた旅の計画を話していた。ヴェトゥ夫人は落ち着きを取り戻し、胃がキリキリするだけで、空腹感だと思い込んで、ジョンキエール夫人にビスケットを牛乳に浸して食べさせてもらうよう頼んでいた。一方、エリーズ・ルケは、自分の傷を忘れ、顔を隠すことなく葡萄を食べていた。グリヴォットは上体を起こして座り、イジドール兄弟もまた不満を口にするのをやめていた。彼らはすべての美しい話に触発され、熱に浮かされたような幸せな気持ちになり、時間を気にしながら、早く治癒したいという焦燥感に駆られていた。

 しかし、とりわけ、その「男」が、一瞬だけではあるが生気を取り戻した。ヒヤシンス修道女が再び冷汗を拭ってやると、彼は瞼を開け、その顔が一瞬、微笑みによって輝いた。彼はもう一度、希望を抱いていたのだ。

 マリーは、その小さく温かい手でピエールの手を握り続けていた。時刻は7時で、列車がボルドーに到着するのは7時半の予定だった。しかし、列車が遅れを取り戻すために、ますます速度を上げ、狂気じみた速さで進んでいた。嵐がようやく収まり、大空は晴れわたり、極めて純粋で柔らかな安らぎが降り注いでいた。

「ねえ、ピエール、なんて美しいの、なんて美しいの!」
 マリーは彼の手を愛情いっぱいに握りながら、再びそう繰り返した。

 そして彼に身を寄せ、低い声でささやくように言った。
「ピエール、さっきね、聖母様を見たの。それでね、あなたの癒しをお願いしたの。そしたら、それが叶えられたわ。」

 その言葉を理解した神父は、彼女の瞳に宿る神聖な光に打ちのめされた。彼女は自分のことを忘れ去り、ピエールの改心を願い、そしてその純朴な信仰の願いは、この愛しい病弱な存在から自然に流れ出るものであり、彼の魂を揺さぶった。なぜ彼もいつか信じるようになれないのだろうか?彼自身、数々の驚異的な物語に心を奪われていた。車内の蒸し暑さに気を失いそうになり、そこに積み重なった苦しみの数々が、その憐れみ深い心を打ちのめしていた。そしてその感染力に影響され、もはや現実と可能の境界が曖昧になり、この驚くべき出来事の山を前に、それを分類したり説明したり、否定したりする能力を失っていた。

 そのとき、再び賛美歌が歌われ始め、その繰り返しの中で彼の執念に火をつけ、彼は自分を失い、やがて信じるに至るとさえ思った。この列車という病院が、止まることなく全速力で走り続ける幻惑の中で――。

 そしてピエールは、彼を取り囲む苦しむ者たちが、列車の振動をもう感じず、奇跡に近づくたびに力を取り戻していくのを確かに目にした。マーズ夫人でさえおしゃべりになり、聖母が夫を戻してくれるという確信に満ちていた。ヴァンサン夫人は微笑みながら、小さなローズを優しく揺すり、彼女を氷水に浸けられても遊んでいる半ば死にかけた他の子どもたちよりも元気だと感じていた。サバティエ氏はゲルサン氏と冗談を交わし、10月には自分の脚が回復したらローマ旅行に行くつもりだと語り、15年間延期してきた旅の計画を話していた。ヴェトゥ夫人は落ち着きを取り戻し、胃がキリキリするだけで、空腹感だと思い込んで、ジョンキエール夫人にビスケットを牛乳に浸して食べさせてもらうよう頼んでいた。一方、エリーズ・ルケは、自分の傷を忘れ、顔を隠すことなく葡萄を食べていた。グリヴォットは上体を起こして座り、イジドール兄弟もまた不満を口にするのをやめていた。彼らはすべての美しい話に触発され、熱に浮かされたような幸せな気持ちになり、時間を気にしながら、早く治癒したいという焦燥感に駆られていた。

 しかし、とりわけ、その「男」が、一瞬だけではあるが生気を取り戻した。ヒヤシンス修道女が再び冷汗を拭ってやると、彼は瞼を開け、その顔が一瞬、微笑みによって輝いた。彼はもう一度、希望を抱いていたのだ。

 マリーは、その小さく温かい手でピエールの手を握り続けていた。時刻は7時で、列車がボルドーに到着するのは7時半の予定だった。しかし、列車が遅れを取り戻すために、ますます速度を上げ、狂気じみた速さで進んでいた。嵐がようやく収まり、大空は晴れわたり、極めて純粋で柔らかな安らぎが降り注いでいた。

「ねえ、ピエール、なんて美しいの、なんて美しいの!」
 マリーは彼の手を愛情いっぱいに握りながら、再びそう繰り返した。

 そして彼に身を寄せ、低い声でささやくように言った。
「ピエール、さっきね、聖母様を見たの。それでね、あなたの癒しをお願いしたの。そしたら、それが叶えられたわ。」

 その言葉を理解した神父は、彼女の瞳に宿る神聖な光に打ちのめされた。彼女は自分のことを忘れ去り、ピエールの改心を願い、そしてその純朴な信仰の願いは、この愛しい病弱な存在から自然に流れ出るものであり、彼の魂を揺さぶった。なぜ彼もいつか信じるようになれないのだろうか?彼自身、数々の驚異的な物語に心を奪われていた。車内の蒸し暑さに気を失いそうになり、そこに積み重なった苦しみの数々が、その憐れみ深い心を打ちのめしていた。そしてその感染力に影響され、もはや現実と可能の境界が曖昧になり、この驚くべき出来事の山を前に、それを分類したり説明したり、否定したりする能力を失っていた。

 そのとき、再び賛美歌が歌われ始め、その繰り返しの中で彼の執念に火をつけ、彼は自分を失い、やがて信じるに至るとさえ思った。この列車という病院が、止まることなく全速力で走り続ける幻惑の中で――




2025年1月26日日曜日

ルルド 第26回

  最後に、ヒヤシンス修道女が肺病の即時かつ完全な治癒について語り始めた。これは圧倒的な勝利の証であった。この恐ろしい病は人類を蹂躙し、不信心者たちは聖母マリアに、この病を癒すことはできないだろうと挑戦状を叩きつけていた。しかし、それでも聖母は、人々の噂によれば、小指をひとつ動かすだけで治してしまうのだという。百を超える症例は次々と押し寄せ、信じがたい話の洪水となった。

 マーガレット・クーペルは3年間肺病を患い、肺の上部が結核菌に食い尽くされていたが、健康を取り戻し輝くばかりの姿で立ち上がり、歩いて去って行った。ラ・リヴィエール夫人は血を吐き、絶え間なく冷たい汗に覆われ、紫色の爪を持ち、まさに最後の息を吐き出そうとしていたが、歯の隙間から少量の水を小さじ一杯だけ注ぎ込まれると、すぐに喘鳴は止み、彼女は身を起こし、連祷に応え、ブイヨンを求めた。ジュリー・ジャドには4杯の水が必要であったが、それでも彼女はすでに頭を支えることさえできなくなり、か細い体は病によって骨まで消え失せたかのようであった。それが数日で彼女は非常にふくよかになった。アンナ・カトリーは病が最も進行した状態にあり、左肺の半分が結核性空洞で破壊されていたが、冷水に五度も浸からされ、全ての常識に反して治癒した。そして、彼女の肺は正常な状態を取り戻した。

 さらに別の例として、一人の若い女性が肺病を患い、15人の医師から死を宣告されていたが、何も望まず、ただ偶然の巡り合わせで洞窟の前にひざまずいただけであった。その後、彼女は思いがけず病が治っていることに驚いた。それはちょうど、その時聖母が哀れみを感じ、目に見えぬ手から奇跡をぽろりと落としてしまった瞬間であったのだろうか。

 奇跡が、また奇跡が!それらは、穏やかで澄み切った空の下、夢の花のように降り注いでいた。その中には胸を打つものもあれば、子供じみたものもあった。例えば、一人の老婆は30年間動かせなかった硬直した手を洗い、十字を切ることができるようになった。犬のように吠えていたソフィー修道女は水に浸かり、清らかな声を取り戻して賛美歌を歌い始めた。ムスタファという名のトルコ人は「白衣の貴婦人」に祈り、その右目に湿布を当てると視力を回復した。また、あるトルコ兵士はセダンの戦場で聖母に守られ、ライヒスホッフェンの胸甲騎兵は心臓に当たるはずだった弾丸が財布を貫通し、その中のルルドの聖母像の前で止まったために命拾いをした。

 そして子供たち、痛みに苦しむ貧しい小さな子供たちもまた、恵みを受けていた。ある5歳の少年は麻痺していたが、服を脱がされ氷のように冷たい泉の水を5分間浴びせられた後、立ち上がり、歩き出した。また15歳の少年で、寝床の中で獣のように唸るだけだった者は、水浴び後に跳ね上がり「治った!」と叫びながら走り出した。さらに、2歳の子供、まだ一度も歩いたことがない赤ん坊は、冷水の中に15分間浸かり、その後元気を取り戻し、小さな大人のように微笑みながら、初めての一歩を踏み出した。

 いずれの奇跡の時にも、小さな子供から大人まで、痛みは激しいものであった。というのも、奇跡が作用する間、人間の体全体が特異な衝撃を受けていたからだ。骨は再生し、肉が再び成長し、病魔は最後の痙攣の中で追い出されていった。しかし、その後に訪れる幸福感は計り知れなかった。医師たちは自らの目を疑い、治癒のたびに驚きを爆発させた。かつて患者だった者たちが走り回り、跳び上がり、貪るような食欲を見せるのを見て、医学の常識が打ち砕かれたのだ。これらの奇跡を経験した女性たちは、3キロを歩き、鶏料理に舌鼓を打ち、12時間深い眠りに落ちるのだった。しかも療養期間というものは一切存在せず、まるで死の淵から完全な健康へと雷に打たれたかのような急変が起きるのだ。手足は新品のようになり、傷は塞がり、臓器は完全に正常を取り戻し、ふっくらとした健康体が一瞬にして甦った。

 科学は嘲笑され、最も基本的な注意さえ払われなかった。女性たちは月経周期に関係なく水に浸かり、汗まみれの肺病患者は冷水に投げ込まれ、傷は腐敗したまま放置され、いかなる抗菌措置も施されることがなかった。それでもなお、奇跡のたびに何という喜びの賛歌が捧げられたことか!奇跡の対象者はひざまずき、全員が涙を流し、感謝と愛の叫びを上げた。改宗が次々と起こり、プロテスタントやユダヤ教徒がカトリックに改宗するのも、また信仰の奇跡であり、天上の勝利を示していた。

 村の人々は皆、奇跡を受けた人を出迎えに道路に集まり、教会の鐘が鳴り響いた。そして、軽やかに馬車から飛び降りるその姿を見た時、人々は歓声を上げ、喜びの涙を流し、「マニフィカト」を唱えた。栄光あれ聖母マリアに!神の母への永遠の感謝と愛を捧げる!

 これらすべての叶えられた希望、これらすべての熱烈な感謝の行為から浮かび上がるのは、無垢の母、崇高な母への感謝の念でした。彼女こそがすべての魂の大いなる情熱、力強き乙女、慈悲深き乙女、公正の鏡、知恵の座でした。あらゆる手が彼女に向かって差し伸べられ、礼拝堂の暗がりに輝く神秘の薔薇、夢の地平線にそびえる象牙の塔、無限へと開く天国の門に思いを馳せました。日の出の瞬間から、彼女は朝の星のごとく輝き、若々しい希望に満ちた喜びをもたらしました。彼女は病める者の癒し、罪人の避難所、悩める者の慰めであり続けました。

 フランスはいつの時代も彼女の愛された国であり、人々は彼女を熱烈に崇拝しました。それはまさに女性と母への礼賛そのものの信仰であり、熱烈な愛情の高まりでした。そして彼女は特にフランスで、小さな羊飼いの少女たちの前に姿を現すことを好みました。彼女は小さな者たちにとても優しく、常に彼らに心を寄せていました。そのため、人々は彼女を愛を運ぶ仲介者として地上と天国を繋ぐ存在だと確信し、彼女に自然と祈りを捧げたのです。

 毎晩、彼女は黄金の涙をその神聖な息子の足元に流し、恩寵を彼から引き出すために祈り続けました。そして、それらの恩寵によって、彼女に奇跡を行う力が与えられるのです。この美しい奇跡の花園は、楽園の薔薇のように香り高く、眩いばかりの輝きと芳香に包まれていました。


2025年1月25日土曜日

ルルド 第25回

  ゲルサン氏もまた、その話に驚嘆しながら笑い、頷いてその話を肯定した。その話は彼がアサンプションの司祭から聞いたものだったという。そして、彼はさらに続けた。「これよりも感動的で、もっと驚くべき話を20も挙げられる」と彼は言い、ピエールにも証言を求めた。しかしピエールは信じていないため、ただ黙って首を横に振るばかりだった。

 ピエールは、マリーを失望させたくないという思いから、気を紛らわせるため、外の風景――通り過ぎる野原や木々、家々――を見るよう努めていた。列車はアンゴレームを通過したばかりで、広がる牧草地や、並ぶポプラの木々が、速度の速さによって扇のように視界から流れ去っていった。どうやら列車は遅れを取り戻そうとしているらしく、全速力で進み続け、雷鳴の下、炎のような空気を切り裂きながら、まるで大地を次々と飲み込んでいくようだった。

 それでもピエールは、不本意ながらもこれらの話の断片を聞き取ることができ、それらの突飛な話に次第に引き込まれていった。列車の硬い車輪の衝撃音に合わせるかのように、こうした物語が運ばれた。まるで暴走する機関車が、彼ら全員を夢と神秘の国へと連れていくかのようだった。車内は延々と揺れ続け、やがてピエールも外を見るのをやめ、現実世界を超えたこの昂揚した空気に身を委ねた。列車はこの現実世界を疾走していたが、その速度がまるで別の次元への旅に思えた。

 再び生気を取り戻したマリーの顔がピエールに喜びを与えた。マリーが手を取ったまま離さなかったので、ピエールはその手を預けることにした。それは彼女の中に生まれた新たな希望を彼に伝えるための、握りしめるような感触だった。彼女を落胆させる理由などなかった。彼は彼女の癒しを何よりも願っていたのだ。ピエールは、病で湿ったその小さな手を、無限の優しさをもって握りしめ、胸を突き動かされた。苦しむ者として共感を感じ、絶望の中にいる者に寄り添う優しさを信じたいと思った。

「なんて素晴らしいんでしょう、ピエール!」マリーは再び言った。「本当に、もし聖母様が私のためにお力をお貸しくださったら、どんなに栄光でしょう!…でも、本当に私にはその資格があるでしょうか?」
「もちろんさ」とピエールは叫んだ。「君は誰よりも素晴らしいし、誰よりも清らかだ。君のお父様もいつも言ってたじゃないか、君はまるで真っ白な魂だって。天国の天使たちですら、君のような存在を護るために全員が揃っても足りないくらいだよ。」

 しかし、それで話が終わりではなかった。今度はヒヤシンス修道女とジョンキエール夫人が、それぞれが知る奇跡の話を次々に語り始めた。ルルドにおける奇跡の数々――それは30年以上も絶えることなく続き、まるで神秘的なバラの茂みに咲き誇る花々のようだった。その奇跡は数千にも及び、年を追うごとに新たな芽吹きとともに勢いを増し、より鮮やかな輝きを放つのだった。

 その話を聞く病人たちは、興奮を募らせながら、まるで童話を聞いた後の子供たちのようだった。「もっと聞きたい、もっと!」と目を輝かせ、次の話を待ちわびていた。ひたすらに続く物語――それは現実の苦しみを嘲り、残酷な自然を打ち負かし、そして神様自身が最高の癒し主として登場し、科学をあざ笑いながら気ままに幸福をもたらす物語だったのだ。

 最初に述べられているのは、耳の聞こえない者や口の利けない者たちが癒される物語である。たとえば、オーレリー・ブルノーは、治療不可能とされ鼓膜が損傷していたが、突如として天上のハーモニウムの音色に感動する。ルイーズ・プルシェは45年間口が利けなかったが、グロットで祈りを捧げる最中に突然「アヴェ・マリア!」と叫ぶ奇跡を体験する。他にも、耳や舌に聖水を数滴垂らすだけで完全に癒されたという人々が百人以上にのぼる。

 続いて、視覚を取り戻した者たちの話が語られる。ヘルマン神父は、聖母マリアの優しい手が目にかけられていた覆いを取り去った感覚を味わう。ポンブリアン嬢は、両目を失明寸前に追い込まれていたが、短い祈りの後に、それまで以上に鋭い視力を得る。また、12歳の少年の目の角膜はまるで大理石のように硬化していたが、わずか3秒で透き通り、天使が微笑むかのように輝く深い瞳を取り戻した。

 しかし、もっとも頻繁に語られるのは麻痺からの回復に関する物語である。両脚が不自由な者、貧しさゆえに悲惨な病床に伏す者たちが、主の「立ち上がり、歩け」という声に応えることで癒されるのだ。ドロノワという男性は運動失調症を患い、電気焼灼や切開手術を繰り返され、15回もパリの病院に入院していたが、聖体が彼の前を通った際、突然身体に力を感じ、健全な脚で歩けるようになった。

 マリー=ルイーズ・デルポンという14歳の少女は、麻痺のため脚が硬直し、手がねじれ、口元が歪んでいたが、見えない手が身体を縛っていた忌まわしい結び目を解くようにして、その四肢は自由を取り戻し、口の歪みも消えた。マリー・ヴァシエは17年間麻痺のため車椅子に座り続けていたが、プールを出た瞬間に歩き、さらには走るまでになり、身体にできていた褥瘡もすっかり消えた。

 さらに、ジョルジュ・アンケは脊髄軟化症と完全な感覚麻痺に苦しんでいたが、臨終の瞬間から突如として完全な健康体に戻った。そしてレオニー・シャルトンも同じく脊髄軟化症で、突出していた脊椎が奇跡的に溶けるように消失し、曲がっていた脚がまっすぐに伸びて、新たに力強い脚となったのである。

 次に、さまざまな病が続いた。まずは、瘰癧の影響で失った脚が再生した例が次々と現れる。例えば、マルグリット・ジェリエは、27年間も股関節結核に苦しみ、病魔に蝕まれた股関節と右膝の強直を抱えながらも、突然ひざまずいて聖母への感謝を捧げた。フィロメーヌ・シモノーという若いヴァンデー地方の女性は、左脚に三つの恐ろしい穴が空いており、その中ではむき出しになった腐った骨から小片が落ちるような状態だったが、骨と肉と皮膚が再び形成された。

 次に現れたのは水腫の症例である。マダム・アンセランは、手足を含む全身がむくみで膨らんでいたが、どこに水が消えたのか分からないまま、体が完全にしぼんだ。また、モンタニョン嬢はこれまでに22リットルもの水を何度も抜き取られ、再び膨れ上がっていたが、奇跡の泉の水に浸した布をあてただけで、跡形もなくむくみが消えた。ベッドにも床にも水が見つからなかったという。

 それと同様に、胃の病も一つとして抵抗できない。最初の1杯の水でたちどころに癒えるのである。マリー・スシェは、黒い血を嘔吐し、骸骨のように痩せ細っていたが、食欲を取り戻し、2日後には元の体型に戻った。マリー・ジャルランは誤って硫酸銅の水を飲んだことで胃を焼き、その結果としてできた腫瘍が次第に消えていくのを感じた。そのほか、最も大きな腫瘍も、この奇跡の泉での入浴によって跡形もなく消え去るのである。

 しかし最も人々の目を引いたのは、潰瘍や癌といった外見的に明らかな恐ろしい傷である。天の息吹によってその傷が癒され、完全に治るのだ。例えば、あるユダヤ人で俳優をしていた男性は、潰瘍に蝕まれた手を水に浸しただけで治癒した。莫大な財産を持つ若い外国人は、右手首に鶏卵ほどの腫瘤を抱えていたが、それが次第に溶けていくのを見た。ローズ・デュヴァルという女性は、白色腫瘍によって左肘に胡桃が入るほどの穴が開いていたが、その穴が新たな肉で次々に埋まっていく様子を目撃した。また、未亡人のフロモン夫人は唇が癌で半ば蝕まれていたが、聖母の泉の水で患部を拭ったところ、傷跡すら残さずに癒えた。マリー・モローという女性は乳癌により苦しみ、ルルドの水を浸した布を患部に当てて眠りについた。2時間後に目を覚ました時には痛みが完全に消え、患部の皮膚はバラのように清らかな状態になっていた。


2025年1月24日金曜日

ルルド 第24回

  それでもなお、人々の関心は高まり続けていた。美しい物語たちがもたらす歓喜、それはすべての場合において天が人間の現実に打ち勝つというものであり、これらの物語は子どものような心を持つ人々の魂を高揚させていった。それによって最も重病の人たちさえも、思わず上半身を起こし、言葉を取り戻すことができたほどだった。そして、それぞれの物語の背後には、自身の病に対する想いと、治癒するという信念が伴っていた。というのも、自分と同じ病が神聖なる息吹によって忌まわしい夢のように消え去った事例を語る物語があるからだ。

「ああ!」とマダム・ヴェトゥが呻くように言った。苦しみで口が重くなった彼女はこう続けた。「あのアンティネット・タルディヴァイユという人がいてね、その人も私と同じように胃が蝕まれていたの。まるで犬が噛みつくみたいに。時には子どもの頭くらい大きくなって、そこに鶏の卵みたいな腫瘍ができていたそうよ。そのせいで8ヶ月間も血を吐き続けて、やつれる一方でね……それでもルルドの水を飲んで、胃のくぼみを洗ったのよ。そしてたった3分後、医者が彼女を訪ねたら、前日までは息も絶え絶えで死にかけていたのに、彼女は暖炉のそばに座って、柔らかい鶏肉の翼を美味しそうに食べていたっていうじゃない。腫瘍は一つもなくなり、若い頃みたいに顔が輝いていたそうよ……ああ!好きなものを食べられるなんて、若さを取り戻して、もう痛みに苦しむこともないなんて!」

「ジュリエンヌ修道女の治癒もすごいのよ!」と、グリヴォットが高熱で輝く瞳をして肘を突いて起き上がりながら言った。「その人、私みたいにひどい風邪をこじらせたの。やがて血を吐くようになって、6ヶ月ごとに症状が再発して寝込んでいたわ。最後に寝込んだときは、もうそのまま亡くなるってみんなが思ったくらいよ。いろんな治療、ヨウ素とか火傷療法とか焼針とか試されたけどダメだった。そんな重度の結核だって、6人もの医者が診断したんだから間違いないのよ……それなのに、彼女がルルドに行った途端、しかも道中すごい苦しみを抱えながらトゥールーズでは一時的に死んだと思われたんだけどね、修道女たちが彼女を抱えて運んで、なんとか池まで連れて行ったの。そこでは助ける人たちが彼女を入浴させるのを嫌がるくらいだったんだけど、彼女を池に入れたら、急に頬が赤みを取り戻して目が開いて深呼吸をしたの!それから彼女、自分で服を着直して聖母マリアにお礼を言いに行って、その後お腹いっぱい食事もしたのよ……どう?結核なんてものが一瞬で消えたのよ!あの奇跡、まるで魔法みたいでしょ!」

 その時、イジドール兄弟が話そうとしたが、言葉にならず、結局妹にこう頼むのがやっとだった。
「マルト、サン=ソヴールの神父が話してくれたドロテ修道女の話をしてくれないか」
「ドロテ修道女ね……」と、不器用そうにマルトという農婦が語り始めた。「ある朝、彼女は片足の感覚がなくなった状態で目を覚ましたの。そこから徐々にその足を完全に失って、冷たくて重たい石みたいになっちゃった。それだけじゃなく、背中にもひどい痛みが出てきてね。お医者さんたちには全然わからなかったみたいで、いろんな医者が針を刺したり、皮膚を焼く薬を試したりしても全く効果がなかったんだって。でもね、彼女は思ったの、聖母マリア様だけが治療してくれるはずだって。それでルルドへ行って池に浸かったら、最初は冷たくて死ぬかと思ったけど、そのうち水がぬるく感じて、まるでおいしいミルクみたいだって思えるくらいだったらしいよ。水が血管に流れ込んできて、身体に命がよみがえっていくのがわかったって……それで今じゃどこも痛みがなくて、一羽の鳩を丸ごと夕食に食べて、その後ぐっすり眠れたんだってさ。聖母マリア様に栄光あれ!全能の母とその神の息子に永遠の感謝を!」

 エリーズ・ルケも自分の知っている奇跡について話したいと思っていた。しかし、彼女は口が歪んでいるせいで非常に話しづらく、まだ順番を待つことができずにいた。しばらくの沈黙が訪れると、彼女はその機会をつかみ、恐ろしい傷跡を隠していたショールを少しずらしてこう語り始めた。
「ええと、私が聞いた話は、大病のことではないんですが、とても面白い話なんです……。それは、セレスティーヌ・デュボワという女性のことで、その人、石鹸を作っているときに針を手の中に刺してしまったんです。それで、7年間も針を体の中に留めていたんですけれど、どの医者もそれを取り出すことができませんでした。その手は収縮してしまって、もう開くこともできなかったんです。でも、その人がルルドにやってきて、水の池の中にその手を浸しました。するとすぐに手を引っ込めて叫び声を上げたんです。針が動き出した感じがしたんでしょうね。みんなで無理やりその手を再び水の中に入れて押さえつけました。彼女は泣きながら顔を汗で濡らしていました。そうして3回手を浸したんですが、なんと、針が徐々に動き出して、最終的には親指の先から飛び出したんです。もちろん、そのとき彼女が叫んでいたのは、針が肉の中を動いているのを感じたからでした。まるで誰かが押してくれていたようにね。それ以来、セレスティーヌはもう二度と痛みを感じることがなくなり、手には小さな傷跡しか残っていませんでした。でも、その傷跡は、聖母の働きを示すためにちゃんと残ったんです。」

 この話は、大きな病気の奇跡よりもさらに強い衝撃を与えた。一つの針が動き出すなんて、まるで誰かが見えない手でそれを押しているかのようではないか! それは目に見えない世界を具現化し、天の指示を受けた守護天使が各病人の背後で助ける準備をしているかのようなイメージを与えた。そして、この話の美しさや無垢さ――7年間意固地だった針が、奇跡の水の中で旅をするように外れる話――に、人々は夢中になった。全員が驚き、喜び、天上では不可能がないことに微笑んだ。そして、もしも天が望むならば、自分たちも健康で若々しく美しくなるだろうという希望に満たされた。祈りを捧げて心から信じるだけで、自然は覆され、信じられないことが現実となるのだ。そして、それが可能になるのは純粋に運の問題だった。天は選んで奇跡を与えるように見えた。

「まあ、お父さん、なんて素敵なの!」と、これまで夢中で聞き入っていたマリーが、熱気を取り戻し、感動に打たれてつぶやいた。「あなたが話してくれた話を覚えているわ、ベルギーから来たジョアシーヌ・デオの話よ。彼女は曲がった脚でフランス中を旅したの。潰瘍で覆われて、ひどい匂いでみんなを遠ざけていたあの脚……。最初は潰瘍が治ったのよ。膝を触っても痛みがなくなり、赤みだけが少し残ったわ。でも、その次は脚の脱臼の番だったの。池の中で彼女は叫び声を上げたわ。骨を砕かれるか、脚を引き裂かれるように感じたみたいだった。でもその間、彼女と一緒に水に入っていた女性が、変形した足が時計の針みたいに動いて、まっすぐに治るのを目の当たりにしたのよ! 筋肉が伸びて、膝が元の位置に戻り、脚全体がまっすぐになった……。痛みはあまりにも強烈で、ジョアシーヌはついに気を失ってしまった。でも、意識を取り戻したとき、彼女はまっすぐに立ち上がって、グロットに松葉杖を持っていったの。」


2025年1月23日木曜日

ルルド 第23回

  ポワティエを発ってからというもの、天気はますます蒸し暑くなり、銅色の空には雷雲が立ち込めていました。列車はまるで灼熱の炉の中を進むようでした。村々が流れるように過ぎていきますが、その光景は陰鬱で、人影もなく、灼けつく陽光の下で荒涼としていました。クエ=ヴェラック駅では再びロザリオの祈りを捧げ、その後、讃美歌を歌いました。しかし、信仰心からの儀式のペースは少しずつ緩やかになってきました。

 ヒヤシンス修道女はまだ昼食を取ることができず、小さなパンに果物を添えて、手早くそれを口に運びながらも、苦しそうな呼吸の男の世話を続けていました。彼の呼吸はここしばらくの間でやや安定してきているように見えます。そしてようやくルフェック駅に到着したのは午後3時で、その時に聖母の晩課が唱えられました。

「我らのために祈り給え、神の母なる聖マリアよ。」 「我らがキリストの約束にふさわしい者となりますように。」

 祈りが終わると、サバティエ氏が、靴下を履き直し靴を履くソフィーを眺めていたのち、ゲルサン氏の方に向き直りました。

「もちろん、この子供の場合も興味深い話ですね。しかし、それはまだ序の口です、旦那さん。もっと驚くべき話を知ってますか……ベルギーの労働者、ピエール・ド・リュダーの話をご存じでしょうか?」

 その場にいる全員が再び耳を傾けました。

「この男は木の倒壊によって足の骨が折れてしまいました。8年経っても、骨の断片は繋がらず、絶えず膿を流す傷の奥に、その骨の両端が見えていました。足はぐにゃぐにゃと垂れ下がり、どの方向にも曲がるような状態でした……ところが、不思議なことに、彼は奇跡の水を一杯飲んだだけで、足が一瞬で治ったんです。そして杖なしで歩けるようになりました。お医者さんもこう言ったそうです、『あなたの足は、まるで生まれたばかりの赤ん坊のように新しいものだ』と。本当に!まったく新しい足です!」

 誰も言葉を発せず、ただ感嘆に満ちた視線が交わされました。

「それから、こういう話もありますよ。」サバティエ氏は続けました。「それは、ルイ・ブリエットの話です。彼は石工で、ルルドにおける最初の奇跡のひとつです。ご存じですか?……彼は採石場の爆発事故で負傷しました。右目は完全に失われ、左目も失明の危機に瀕していました……ある日、彼は娘に頼んで、ほとんど湧き出ていない源泉から汚れた水を汲んできてもらいました。そして、その泥水で目を洗いながら、熱心に祈りを捧げました。そして彼は叫び声をあげました。見える!旦那さん、彼は見えるようになったんですよ、あなたや私と同じくらいにはっきりと……彼を治療していた医者が詳細な記録を残しています。疑いの余地などまったくありません。」

「それは素晴らしいですね」と、感激した様子でゲルサン氏がつぶやいた。
「もう一つ、よろしければ例を挙げましょうか、旦那様? これは有名な話で、ラヴォールの家具職人、フランソワ・マカリーの話です……。彼は左脚の内側に、18年間も深い静脈瘤潰瘍を抱えていました。それに加えて、患部の組織がかなり腫れていました。動くこともできず、医療では完全な不治と宣告されていたのです……ところが、ある夜、彼はルルドの水の瓶を持って部屋に閉じこもりました。そして包帯を外し、両脚をその水で洗い、残りの水を飲み干しました。それから寝てしまい、目が覚めて自分の脚を触り、眺めてみると……何もなかったんです! 静脈瘤も潰瘍も、すべてが消え去っていました……。旦那様、その時、膝の皮膚は20歳の若者のように滑らかで、瑞々しくなっていたんです!」

 今度は車内が驚きと感嘆の声で沸き立った。病人たちも巡礼者たちも、奇跡の国という魔法の世界に引き込まれていった。それは、どんな不可能も小道の一つ曲がり角で実現し、次々と奇跡が起きていく場所だった。そしてそれぞれが自分の知っている話を語りたくなり、自分の信仰や希望を証明するために例を挙げたいという思いに駆られていた。

 普段は無口だったマーズ夫人が、意を決して話し始めた。
「私は、リザン未亡人と呼ばれている方を知る友人がいます。その方の癒しの話も大変有名になりました……24年間、彼女は左半身が完全に麻痺していました。何を食べても吐き出してしまい、体はまるで動かない塊のようで、寝返りを打たせるのがやっとでした。それに、長い間寝たきりのせいで、シーツの擦れが皮膚を傷めていました……ある晩、医師が『夜が明けるまでには亡くなるでしょう』と告げました。ところが、その2時間後に彼女がうっすら目を覚まし、弱々しい声で娘に頼みました。『隣の家からルルドの水を一杯取ってきておくれ』と。それでも翌朝まで水は手に入らず、ようやく娘がその水を彼女に渡すと、彼女は叫んだのです。『ああ、お前、これは命そのものだわ! 早く私の顔を、腕を、脚を、体全部を洗っておくれ!』と。その通り、娘が言われるままに体を洗うと、見る間にひどく腫れた部分がしぼみ、麻痺していた手足が柔軟になり、元の健康的な外見を取り戻したんです……。でも、それだけじゃありません。リザン夫人は叫びました。『私、治ったわ! お腹が空いた! パンとお肉をちょうだい!』と。それは24年もの間、何も食べられなかった人の言葉ですよ。そして彼女は立ち上がり、服を着ていました。その間、娘は近所の人々が泣き崩れながら、『あの子が母親を亡くしてしまったのね』と思っているのを聞いていました。でも彼女はこう答えました。『いいえ、いいえ! 母は死んでいません! 母は生き返ったんです!』と。」

 ヴァンサン夫人の目には涙が浮かんでいた。なんということだろう!もし彼女がローズを同じように起き上がるのを見て、食欲を取り戻し、元気に駆け回る姿を目にすることができたなら…。パリで聞いたある少女の話がふと思い出された。その話は、彼女が病気の娘をルルドに連れて行こうと決意する重要なきっかけとなったものであった。

「私も、ある麻痺の少女の話を知っています。リュシー・デュルオンという孤児院の寄宿生で、まだ幼い子でした。彼女は膝をつくことさえできない状態でした。四肢は環のようにねじれ、右足は左足よりも短くなり、ついには左足に巻き付いてしまいました。友達の一人が彼女を運ぶ際、その足はまるで死んだように宙にぶら下がっているのが見えました…注目してほしいのは、彼女がルルドに行ったわけではないということです。彼女はただ、9日間の祈願を行いました。それに加えて、9日間絶食し、その間ずっと祈りながら夜を過ごしました。その治癒への強い願望がどれほどだったかは想像に難くありません…。

 そして、ついに9日目、少しばかりルルドの水を飲んだところ、彼女の足に激しい痙攣が起こりました。彼女は立ち上がり、再び倒れ、再び立ち上がって、歩き出したのです。その様子を見た仲間たちは、驚きと恐れで叫びました。『リュシーが歩いている!リュシーが歩いている!』本当にそれは事実でした。数秒のうちに、彼女の足は真っ直ぐで健康的な状態に戻り、力強くなったのです。彼女は中庭を歩いて渡り、礼拝堂に上ることができました。そして、そこで共同体全体が感謝に満ちて『マニフィカト』(感謝の賛歌)を歌いました…あの愛らしい子、どれほど幸せだったでしょう、本当に幸せに違いありません!」

 彼女の頬を伝った二筋の涙が、青ざめた娘の顔に滴り落ちた。そして彼女は取り乱すように、娘に何度も口づけをした。


ルルド 第168回

   しかし、疲労が彼自身をも襲い、まぶたが閉じて、彼もまた眠りに落ちた。やがて彼の頭が滑り落ち、頬が友人の頬に触れた。彼女はごく穏やかに眠っており、額は彼の肩に寄りかかっていた。  すると、二人の髪が絡み合った。彼女の金色の髪、まるで王女のようなその髪は半ばほどけており、彼の顔...