2025年8月1日金曜日

ローマ 第32回

 

第四章

 同じ日の午後、ピエールは暇があることもあって、ローマに着いてから一番に訪ねたいと思っていた人物のもとへ、さっそく出向こうと考えた。というのも、彼の著書が出版された直後にローマから届いた一通の手紙が、彼の心を深く動かしていたからだ。その手紙の差出人は、かの独立と統一の英雄、老伯爵オルランド・プラダ。ピエールとは面識もないのに、彼は初読の勢いで情熱的な抗議の書簡を送りつけてきたのである。4ページにわたるその手紙は、熱烈な愛国の叫びであり、いまだ若者のような激情に駆られた老翁が、ピエールの著書にイタリアが欠けていると非難し、新しいローマを、統一され自由となったイタリアのために要求するというものだった。

 その後も書簡のやりとりは続き、ピエールは自らの“世界を救う新カトリック主義”という夢を譲ることはなかったが、祖国と自由をこれほどまでに愛するこの人物に対し、遠くからながら尊敬と親しみの念を抱くようになっていた。彼はローマへの渡航を知らせ、訪問することを約束していた。しかし今や、ボッカネーラ館に滞在しているという事情が、この訪問を躊躇させていた。あのベネデッタの温かな歓迎を受けたばかりである今、彼女に断りもなく、初日から彼女が逃げ出した夫とその父親が暮らす家を訪ねるのは、いかにも気まずかった。なにより、その老伯爵オルランドは、息子とともに、ヴェンティセッテ・セッテンブレ通りの高台にある、息子が建てた小さな館に住んでいるのだ。

 そこでピエールはまず、率直にその懸念をコンテッシーナ本人に打ち明けることにした。ヴィコントのド・ラ・シュウからは、彼女がこの英雄に対して娘のような愛情と尊敬を抱いていることを聞いていた。案の定、昼食後、彼がそのことを口にすると、彼女は驚いたように叫んだ。

「まあ、アッベ様! どうか今すぐ行ってください! ご存じでしょう、あの老オルランドは我が国民の誇りなのです。私がこう呼ぶのもおかしくないのです、イタリア中が彼を愛情と感謝を込めて、そう呼んでいますから。私が育った世界では、彼のことを忌み嫌い、“サタン”呼ばわりしていました。でも、後になって初めて彼を知り、そして彼を愛するようになったのです。この世で彼ほど穏やかで、正義を愛する人はいませんわ。」

 彼女は微笑みながらも、静かに目を潤ませた。きっと、あの暴力に満ちた家で過ごしたあの一年の記憶、ただ老伯爵のそばで過ごした穏やかな時間だけが慰めであったことを思い出したのだろう。そして彼女は声を少し震わせながら、低く言い足した。

「お会いになるなら、どうかお伝えください。“私は今でもあなたをお慕いしています。何があっても、あのご恩は忘れません”と。」

 ピエールが馬車でヴェンティセッテ・セッテンブレ通りへ向かう間、彼の心には、老オルランドの英雄的な人生の物語がよみがえっていた。彼はその話を人づてに詳しく聞いていた。そこには信仰、勇気、無私の精神――まるで一つの叙事詩があった。

 オルランド・プラダ伯爵は、ミラノの名門に生まれた。若き日に燃え上がったのは、外国勢力――とくにオーストリアへの憎しみだった。まだ15歳のとき、彼は秘密結社に加わっていた。それは古いカルボナリ運動の末裔の一つだった。その外国支配への怒りは、代々にわたる反逆と、自由を求める夢から生まれたものであり、貴族や暴君の支配下に細かく分断されていた旧イタリアを、再び一つの偉大な国家へと復活させようという情熱がさらにその炎を煽った。

 かつては世界を征服した古代の栄光を持つ土地、しかし今は侵略と分断に苦しむこの国を救う――それこそが、当時の若者の心を燃え上がらせた夢だった。外国勢力を打ち破り、専制を打倒し、奴隷のように沈黙していた民を目覚めさせ、自由で統一されたイタリアを打ち立てること。それは若きオルランドの心を烈火のごとく燃え上がらせた。彼は、祖国のために血を捧げ、命を賭ける覚悟を、青年時代から胸に抱いていたのだ。

ミ ラノの実家にこもり、陰で息巻きながら、空虚な陰謀に日々を費やしていた彼は、結婚して25歳になったころ、ローマでピウス9世の逃亡と革命の報せを聞くやいなや、全てを投げ捨てて旅立った――家も、妻も。

 それが彼の“独立への初陣”であり、その後、彼は幾度となく武装蜂起に身を投じることになる。ローマでマッツィーニと出会い、その神秘的な共和主義者の姿に一時は魅せられた。世界的な共和国を夢見ていた彼は、「神と人民(Dio e Popolo)」の標語を掲げ、暴動下のローマを練り歩く行進に加わった。

 その頃は、カトリックの刷新を求める動きもあり、“人道的なキリスト”の再来を望む空気が、世を包んでいた。だがやがて、過去の英雄たちを思わせる一人の将軍――ガリバルディが、彼の全てを奪っていった。オルランドはガリバルディを神のように崇め、英雄的な戦いを共にし、リエーティの戦いではナポリ軍に勝利を収め、その後も彼に従ってヴェネツィアの救援に向かうなど、幾多の戦場を共に駆け抜けた。

 しかしその道は過酷で、ローマを仏軍(ウディノ将軍)に明け渡さねばならなくなり、ガリバルディはアメリカへの亡命を余儀なくされ、最愛の妻アニータもローマ近郊で病没した。その瞳を閉じてやったのも、彼自身だった――

 ああ、このイタリアという地は、当時、内なる炎で轟々と燃え盛っていた! 各都市から信念と勇気ある人々が次々と現れ、蜂起が噴き出すように巻き起こり、敗北の中でも、イタリアは確かに、そして必然的に勝利へと向かっていたのだった――




ローマ 第32回

  第四章  同じ日の午後、ピエールは暇があることもあって、ローマに着いてから一番に訪ねたいと思っていた人物のもとへ、さっそく出向こうと考えた。というのも、彼の著書が出版された直後にローマから届いた一通の手紙が、彼の心を深く動かしていたからだ。その手紙の差出人は、かの独立と統一の...